大聖寺藩伝統の鴨猟

坂網猟の様子

 加賀市にある片野鴨池周辺では江戸時代から続く伝統の坂網猟(さかあみりょう)で、野生の真鴨を獲っています。1年に限定200羽と動物保護条約で決められた坂網猟で生け捕りにされた極上の味を目当てに、全国から美食家が集まります。

 藩政時代から続く伝統ある「坂網猟」で捕った野生の真鴨は、加賀に伝わる究極のグルメと言えるでしょう。ただし加賀市内で食べられるのはたった2軒だけ。そのうちの1軒が「ばん亭」さんです。

「ばん亭」

 坂網猟は坂網と呼ばれるY字形の網を、羽音を頼りに鴨めがけて数メートル、時には10メートル以上の高さに投げ上げて、鴨を捕らえる伝統猟法です。現在では加賀と種子島、宮崎の3か所だけで行われていますが、加賀はシベリアから、種子島と宮崎は中国から渡ってくる鴨だそうです。

 加賀で坂網猟が始まったのは約300年前の元禄年間で、大聖寺藩主が武士の心身の鍛錬としてこの猟を奨励しました。猟を行ったのは藩主や家老、上級武士たちでした。江戸幕府から狙われないように、密かに鍛錬していたのです。明治時代になって一般の人もこの猟ができるようになり、現在、石川県民俗文化財にも指定されています。

 

闇が降る一瞬に捕らえる

 鴨猟ができるのは毎年11月15日から2月15日の3か月だけ。市内の片野鴨池周辺で猟を行います。猟師さん達が「闇が降る時」「などき」などと呼ぶ、夕方から夜の暗闇に向かう頃、周囲の松の葉がスッと見えなくなる瞬間に鴨は飛び立ちます。雄が先に飛んでそのあと雌が飛び立ち、猟師さんはこの雄を狙うのです。

 このわずか15~20分だけが猟の時間、1回の坂網で捕らえるのはほとんどが1羽だけ。暗闇の中でじっとなりを潜めて気配を消し、獲物を狙う獣のように感覚を研ぎ澄まして、鴨が飛び立つ瞬間に網を投げます。猟師さんと鴨の1対1の真剣勝負です。猟師さんは目がすごく良くて、真鴨以外には網を投げません。猟の感覚が体に染み付いているそうです。

 片野鴨池は銃猟が禁止されている地域でしたが、終戦直後に占領米軍の軍人が来て、銃で鴨や雁を撃ちました。当時の捕鴨猟組合長・村田安太郎さんという人が、GHQに直訴して銃猟を止めたという秘話も残っています。以来、片野鴨池周辺は坂網猟だけで鴨を獲りすぎることもなく、猟師さんたちが環境を守ってきたということで、ラムサール条約登録湿地にも登録されています。それくらい人が自然と共生している地域なのです。