吉野家の別荘で魯山人を支えた山代の旅館の旦那衆。人とのつきあいにおいて軋轢が絶えない魯山人でしたが、山代の人々とは生涯交流が続きました。山代の人々は今も変わらず来る人を、懐の深い温かいおもてなしで迎えてくれます。今回はそんな宿のなかから2軒を紹介します。
文=山口 謠司 取材協力=春燈社(小西眞由美) 写真提供=あらや滔々庵、べにや無何有
魯山人ゆかりの作品のある老舗宿
江戸時代、総湯のまわりには加賀藩から湯を引く権利を許されていた旅館が18軒あり、そこが中心となって町が発展しました。また、魯山人と交流した旅館の旦那衆が文化サロンを築いたように、山代の文化は「宿」が中心でした。
旅館「あらや」は加賀大聖寺藩前田家より「湯番頭(ゆばんがしら)荒屋源右衛門」の命を受け、現在は「あらや滔々庵(とうとうあん)」として18代が館主となっている老舗旅館です。魯山人と交流のあった旦那のひとりが、趣味人として鳴らした「あらや」の宿主だった15代源右衛門でした。
15代はほかの旅館の旦那衆とともに魯山人と親しく交わり、 書画や看板などを注文して魯山人の生活を支えました。「あらや滔々庵」では魯山人の初期の陶芸作品の赤絵皿や、烏によって温泉が発見されたという烏湯縁起にまつわる暁烏の衝立など、魯山人ゆかりの作品をロビーや作品展示室等で見ることができます。
また、1日約10万リットルという豊かな湯量もこの宿の魅力です。ナトリウム・カルシウム硫酸塩・塩化物泉という泉質の湯は、大正初期にドイツで開催された万國鉱泉博覧会で金賞を受賞しているそうです。
山代ではほかにも江戸時代から続く旅館や、創業100年以上の旅館も多く、その旦那衆には、今もお茶や謡を嗜み、書や陶芸など美の世界に造詣が深い数寄者がいます。また、旦那衆だけでなく、女将さんたちの活躍でも山代の宿は成り立っています。
加賀温泉郷の情報発信やおもてなしの向上を目指し立ち上げた「レディー・カガ」というプロジェクトもあり、「瑠璃光」や「吉田屋 山王閣」などの宿や飲食店などで、温かいおもてなしで迎えてくれる女性たちに遭遇できます。老舗の伝統を守りながらも、新しいスタイルを取り入れ、発信しているのです。