沢木 移動、旅の根源的な欲求ですよね。彼は日本に強制送還させられましたが、強制的に旅を終わらせられなかったら自分はまだ旅を続けていたかもしれない、という思いがあったんじゃないでしょうか。日本に帰ってから何十年経っても、ずっとなくならなかった一固まりの思いなんでしょうね。

単調な日々を苦痛と思わない人

──『天路の旅人』を読んで、旅と同じぐらいすごいなと思ったのが、西川さんの人生の落差というんでしょうか、旅をしているときの予想外の出来事だらけのドラマチックな日々と、日本に帰国して盛岡で理美容材卸業を営むようになってからの何もなさ過ぎる日々の落差がすごいですよね。

沢木 確かに大きな落差がありますよね。その落差を生み出すキーになるのは、彼が「自己認証」を必要としない人だったということなんですよね。誰かに認めてもらいたいとか、周りからすごい人間だと思われたいとか、そういう欲求をほとんど持っていなかった。外部の目線、視線によって自分を認証してもらい、それを喜びとするようなことがまったくない人だったと思うんです。

──『天路の旅人』には、毎日、毎日、ずっと同じことを繰り返すのがラマ僧の一生だという記述がありました。西川さんの盛岡での生活は、まるで宗教的な修業のようですね。元旦以外364日働き、毎日の行動も食べるものもルーティン通りです。

沢木 確かにお寺で修業しているのとほとんど変わらないですよね。でも彼は、日々の同じことの繰り返しがそんなに嫌いではなかったんじゃないかと思います。無限に繰り返される単調な日々というのが、そんなに苦痛ではない人だったと思う。

──耐え切れない人もいると思いますが、沢木さんは西川さんの気持ちが理解できますか。

沢木 僕も嫌いじゃないんですよ、そういう生活は。僕のおやじもまったく同じタイプでした。小さい町工場をやっていて、毎日毎日、生活も仕事もまったく同じことの繰り返しなんですが、全然苦痛じゃなかったみたいです。同じことを何十年と続けても苦痛と思わないおやじの精神が、僕にもちょっと残っている気がします。

──沢木さんはしょっちゅう旅をしていて、片時もじっとしていないイメージがありますが。

沢木 好きなように仕事をしているけれど、もしも1年中同じ生活をやろうと思えばできる。わりと苦痛ではないですね。