純粋で理想的な旅の形

──西川さんの旅は本当に過酷ですね。厳しい自然の中で、命も安全も保証されていない旅を8年も続け、おまけに蒙古人のラマ僧(チベット仏教の僧侶)になりすまして身分を隠しているから、ずっと緊張しているわけですよね。

沢木 特に敗戦を知るまでの緊張は強かったですよね。初めの頃は旅にもまだ慣れていませんでしたし。

──沢木さんご自身は、西川さんの旅のどこがすごいと思いましたか。

沢木 ラマ僧に扮してラクダを引いて中国の奥地を旅するというのは、僕も彼と同じ状況だったらできたかもしれない、と思うんです。絶対に不可能ではないなと。

 でも日本の敗戦を知った後、2つ目の旅が始まるんですよね。密偵という使命から解き放たれて自由になるものの、国家という土台や頼るべきものを失ってしまい、お金もないし、頼る人もいない。そこから彼はまた旅を始めた。その何もない状態で僕は旅を続けただろうかと自問すると、やっぱり帰ることを考えただろうと思うんですね。けれども彼は旅を続けて、現地の人々の中に入り、言葉を覚え、そして最も下層の生活に身を浸して生きていった。それはたぶん僕にはできなかったでしょうね。

──敗戦を知った後も旅を続けたのがすごいと。

沢木 そこからの旅が、彼にとって本当の旅になる気がするんです。どのように生きてもいいという自由を手に入れてから、旅がどんどん純粋なものになっていく。ただ、知らないところ、見たことのないところに行きたいというのが目的になって、純化された豊かな旅を生きていくんですね。そこが本当にすごいと思います。

──敗戦を知ってからの旅は、沢木さんから見て理想的な旅に映りますか。

沢木 彼は、いろいろなものをどんどんそぎ落として移動していきました。人に頼らず、旅に必要なものすべてを自分で手に入れコントロールするというのは素晴らしいと思います。純粋で、理想的な旅の形なのではないでしょうか。

──西川さんは亡くなる直前に、娘さんに「もっといろいろなところに行ってみたかったな」と言っていたそうですね。旅をしたいという思いをずっと抱いていたのですね。