『帝冠様式』は本当に国粋主義だったのか

 さて、ここで改めて考えてみたい。果たして、『帝冠様式』は本当に国粋主義だったかということ。

 確かに戦時下、ドイツにおいてはナチスが古典主義を推奨する一方、ソ連も同様に古典主義を促進していた。しかし、ドイツと同盟を結んだイタリアではムッソリーニのもとで、ジュゼッペ・テラーニによる《カサ・デル・ファッショ》など、良質の近代建築が造られている。

《カサ・デル・ファッショ》

 ということは、モダニズム=民主主義ということは必ずしも言えないということになる。実は、これらは何人もの建築史家や批評家が指摘していることなのだが、『帝冠様式』がナショナリズムの高揚を画策したものだというイメージは、戦後にモダニズムを賛美するために捏造されたものということだ。現にモダニズムがファシズムと徹底的に戦ったことはないようだ。

『帝冠様式』はあくまでも、様々な様式が混在した時期に登場した「日本趣味の建築」であって、政治色とは無縁の鉄筋コンクリート造(《東京国立博物館》の場合は鉄筋鉄骨コンクリート造)の箱の上に、伝統的な屋根を載せるというデザイン手法の1つと捉えた方がわかりやすい。そう考えると、前川國男の批判の矛先は、コンペの体制や仕組みそのものに向けられたものであり、決して渡辺仁批判をしたわけでもないし、前川國男自身が民主主義の代弁者でもない。

 現に、前川國男は戦時下のコンペで和風の屋根を提案したり、忠霊塔(国家や君主ために忠義や忠誠をもって戦争に出兵し戦死した者の霊に対して、顕彰または称え続けることを象徴として表す塔)のコンペに参加したりしている。ちなみに彼は「もしも、あれ(《東京帝室博物館》コンペ応募案)が建っていたら、ぼくは上野の山を面を上げて歩けなかったよ。どうしてって、あれにはディテールがないからね」と答えたと言う。

 一方、屋根の水平面の方が強調されている渡辺案にしても、他の多くの案が、国家の威厳を誇示するように、威風堂々と正面のファサード中央にシンボリックな塔を建てている中、むしろ、控えめでおとなしく感じるくらいであるし、その特徴的な屋根については、渡辺自身が後に「インドネシア・ミナンカバウの民族建築を参考に設計した」と語っているように、日本的というよりもむしろ東洋的なデザインを狙ったものであった

 こうしてみると帝冠様式は、ナチズムやファシズムとは無縁、むしろ、ディズニーランドに行ったら誰もが嬉々として着ける(私はそのおとぎの国とはほぼ無縁であり、全く興味がないのだが・・・)ミッキーのカチューシャみたいなものだと考えたら、《東京国立博物館》も一層ユニークで愛おしく見えてくる、と言ったら言い過ぎだろうか(渡辺仁先生、無礼な例え、どうぞお赦しを・・・)