三浦氏ゆかりの地
●近殿(ちかた)神社
神奈川県横須賀市大矢部にある、三浦義村の木像をご神体として祀った神社。境内の旧石宮には、家紋が刻まれている。矢部郷は三浦氏惣家の屋地であり、矢部に居したことから、三浦義澄は「矢部次郎」、義澄の後室は「矢部尼公」と呼ばれるという(鈴木かほる(三浦一族研究会)『三浦一族の史跡道』)。
●薬王寺旧跡(伝三浦義澄墓)
同じく横須賀市大矢部の臨済宗薬王寺跡には、三浦義澄の墓と伝えられる五輪塔がある。
薬王寺は三浦一族の和田義盛が、父の杉本義宗と叔父の三浦義澄の菩提を弔うため、建暦2年(1212年)に創建したと伝わる。明治9年(1876年)頃に、廃寺となった。
●来迎寺(材木座)
鎌倉三十三所観音霊場第14番札所。鎌倉には来迎寺が二つあり、もう一つは西御門(にしみかど)に建つ。
材木座の来迎寺は、源頼朝が三浦義明の冥福を祈って建立した真言宗・能蔵寺がはじまりだといわれる。頼朝の死後、開山の音阿上人が時宗に改宗し、来迎寺と名を改めた。
本尊阿弥陀三尊像は、三浦義明の守護仏と伝わる。
境内には三浦義明の墓の他にも、先に述べた畠山重忠の軍に討たれ、17歳の若さで戦死した多々良重春(義明の孫)の墓といわれる高さ約2メートルの大きな五輪塔も建つ。
春の彼岸の時期には、武士たちの霊を弔うように、ミモザの花が美しく咲き誇る。