生まれた年も不明 三浦義村

 義村の母は、浅野和之が演じた伊東祐親の娘で、北条義時とは母方の従兄弟と同士となる。義時の烏帽子親は三浦義明か義澄で、三浦氏の通字である「義」の字を拝領したと、推定されている。

 ドラマでは義時よりも大人びてみえる義村だが、実際はどうだったのか。

 義村の生年は明らかでないが、高橋英樹氏は彼の生年を仁安3年(1168)と推定している(『三浦一族の研究』)。いずれにせよ、長寛元年(1163)生まれで、頼朝の挙兵時に18歳(数え年)であった義時よりは、少し年下であったようだ。

 まだ元服前だったのか、義村は治承4年(1180)の頼朝の挙兵や、その直後に起きた先に述べた「衣笠合戦」には参加していなかったものと思われる。

 義村の初従軍は、元暦元年(1184)8月のことである。『吾妻鏡』同年8月8日条に、西国へ出発する迫田孝也演じる源範頼(頼朝の異母弟)を総大将とする平家追討軍のなかに、父・義澄や、北条義時らとともに、義村の名も記されている。

 奥州合戦にも従軍し、活躍をみせた。

 建久元年(1190年)の頼朝上洛の際に、義村は父・義澄の勲功賞を譲られるかたちで、右兵衛尉に任じられている。

 父の死後は三浦氏の惣領となったが、その頃から、御家人たちの血で血を洗う抗争が次々と巻き起こっていく。

 義村は北条義時とともに激動の時代を駆け抜け、三浦氏の最盛期を築くのだが、時には一族の重鎮を裏切り、弟とさえ袂を分かつ。「三浦の犬は友を喰らうなり」と言い捨てられたという逸話も残る。ドラマでは、どのように描かれるのか、楽しみでならない。