以前では考えられなかった膨大なデータを活用し、新しい価値を生み出す。そんな「データ新時代」が本格化しつつある。その一方、データ設計や扱い方の難しさに直面する企業も少なくない。企業がデータを十二分に活用して飛躍を遂げるには、どのようにデータと向き合えばよいのか。40年近くにわたりビッグデータ活用の研究に従事してきた、東京大学 特別教授で国立情報学研究所(NII)所長を務める喜連川優氏に話を聞いた。
「デジタル=正義」と捉えると非効率を生み出すことも
――昨今、伝統的な大企業を含む多くのプレイヤーがデータ活用やDXを本格化しています。社会・経済環境も変わり続ける中、どのような視点が求められるでしょうか。
喜連川 優 氏(以下、喜連川氏) データを活用する取り組み自体は素晴らしいことです。しかし、デジタル化という「手段」が「目的」とすり替わらないように注意しなければいけません。デジタルはあくまでツールであり、それを議論する前に「自分たちは何をしたいのか」をきちんと整理しないと、本末転倒になってしまいます。
例えば、コロナ禍が到来した2020年春頃。保健所が新型コロナウイルス関連のデータを行政機関へ報告する際にFAXを使っていることが報道され、「今どきFAXとは、遅れている」との論調が各方面から聞こえてきました。私はコロナ禍以降の保健所を見学したことがあるのですが、職員の方がとんでもない忙しさだったことを覚えています。その現場で最も効率的なプロセスが、各所から送られてくるデータを手書きでメモし、それを手書きのFAXで送る流れだったのです。
デジタルありきで「デジタル=正義」と考えてしまうと、かえって非効率になることが少なくありません。だからこそ目的をしっかり見極め、デジタルと非デジタルを適切に使い分けることも重要です。
――取り扱うデータ量や種類が増えてくると、セキュリティの視点も欠かせません。セキュリティや個人情報保護の観点で、情報システム部門にはどのような視点が求められますか。
喜連川氏 情報漏洩を防ぐ対策は当然必要になりますが、それ以上に難しいことが「情報をどのくらい匿名化すれば、個人情報が漏れないか」の線引きです。近年GDPR※1やCRPA※2では個人情報の保護を厳しく打ち出しています。
一方、セキュリティに重きを置き過ぎると、データとしての有用性が損なわれてしまいます。そうした中で次第に注目を高めているプライバシーテック※3の考え方にも、今後は目を向けていく必要があるでしょう。
加えて、個人情報を取り巻く状況は目まぐるしく変化を続けています。一度データを整えたら終わりではなく、状況に合わせて更新し続けることが求められます。
※1 EU一般データ保護規則
※2 カリフォルニア州消費者プライバシー権法
※3 個人のプライバシー保護を目的とした技術
デジタビリアム=最適なバランスでデジタル化する
――データ活用に関して、喜連川さんは「デジタビリアム」の考え方を提唱されています。
喜連川氏 「デジタビリアム」は、IT系の調査・コンサルティング会社であるガートナーが打ち出した「テクノビリアム」から派生した言葉です。
「テクノビリアム」は、“テクノロジー”という単語に“均衡” “中庸” “バランスの取れた”の意味を持つ「イクイビリアム」を組み合わせた造語です。私はこの言葉をアレンジして、“テクノロジー”を“デジタル”に置き換えた「デジタビリアム」を提唱しています。要はデジタル技術を“ちょうどいいバランスの状態”で取り入れる、という考え方です。
一口に「デジタル化する」といっても、「どの部分に・どのようにデジタルを入れるべきか」は業態にって千差万別です。だからこそ他社の真似をするのではなく、自社の状況に応じてメリハリを付けることが大切になります。先ほど挙げた保健所のFAXの例にも通じることですね。
ITの大きな特徴の一つに「プリサエス(精密さ)」があります。ザクッと一括りに捉えるのではなく、一つひとつを細かく分けて最適化できることを指します。だからこそパッケージソフトを導入したらおしまいではなく、各々の置かれた状況に応じて、最適なバランスでデジタル化を進めることが重要です。ITを活用し、農地の区画ごとに耕作や施肥の仕方を細かく変えて収穫量を最大化する「プリサエスファーミング」とも同じ考え方です。
そして、デジタビリアムを実現するには、方法論を一度「リセット」することがポイントになります。そういった意味では、コロナ禍を機に「考え方をリセットしましょう」という潮流が生まれていることはよいことだと思います。
――「リセット」するとは、具体的にどういうことでしょうか。
喜連川氏 「原点に戻って考え直しましょう」ということです。例えば、コロナ禍で大学ではこんなことが起きました。
まずは講義をオンライン化するにあたり、最初は先生も慣れていないので予め録画した映像を配信するようにしました。そこで学生からのアンケートでは「リアルタイムで生の声が聞きたい」という意見が多く出てくるなど、新たな気付きも得られました。
コロナ禍のオンライン講義で学生の成績が上がった
――講義をオンライン化するにあたっても、ユーザーである生徒から多様な意見が出てくるわけですね。
喜連川氏 そうですね。録画の場合には、学生が好きな時に見ることができる「オンデマンド配信」が可能です。その再生データを見たところ、部分的に早回しで再生する学生が見られました。それを聞いた先生からは「こちらが真面目に話しているのに、早回しとはけしからん」との声も挙がったものです。
しかし、その解析結果から、学生たちはわかりやすいところは早回ししたり、難しいと感じる部分はゆっくりと、繰り返し見たりしていることがわかったのです。
そうした結果、コロナ禍になって勉強がよくできるようになった学生が増えた、という報告を耳にしました。この講義の受け方が極めて効率的だったということでしょう。このように新たな変化が生まれる時だからこそ、ずっと進んできた“線路”から一度下りてみて、原点に立ち返るいいチャンスだと思います。
デジタル化にはお金も人手もかかります。だからこそ、最初から全てをデジタル化する必要はありません。そもそも何が目的で、そのためにはどんなやり方が最適かを、リセットしてゼロから考える。その上で“ちょうどいい塩梅”にデジタル化することこそがデジタビリアムなのです。
――方法論を一度リセットし、ゼロから考える際に必要なことは何でしょう。
喜連川氏 どの企業も事業を進める中で様々なデータを蓄積しています。それをどう価値化するか、ということも考えるでしょう。しかし多くの場合、現状の“あるもの”だけで飛躍を遂げることはなかなか難しいはずです。だからこそ、目的を遂げるにはどんなデータが必要で、それをどう作っていくかの設計をする「データデザイン」が必要になります。
とはいえ、そもそも自社がどんなデータを保有し、その権利関係はどうなっているか、きちんと把握できていない場合も多いはずです。従って、まずは自社のデータの“棚卸し”をしっかり行い、そこから足りないデータをどう補うかをデザインしていく、という流れになると思います。
災害の死者を減らすために必須のデータとは
――デジタル化を実現するための“IT人材”の育成は、どうすればよいでしょうか。
喜連川氏 日本では一般的に、IT人材はユーザー企業の中には乏しく、ITベンダーサイドに大きく偏っています。しかし今後、情報系の大学生が卒業してそのままユーザー企業のIT部門に入るような流れも進んでいくでしょう。とはいえ、それを待つわけにもいかないので、現状ではまず中核的なIT人材を外部から招き入れ、その人材を核としながら社内のIT化を進めていくシナリオが、現実的になるでしょう。
――改めて企業がデータを活用することの本質的な意味について、教えてください。
喜連川氏 私は今、政府からの依頼でデジタル防災の取組みを進めています。政府からは、「東日本大震災では約2万人の方がお亡くなりになりました。この先、災害が起こった時の死者をなんとか減らせないでしょうか」と依頼されました。
そこで私は政府に「2万人の方々がどのような形で亡くなられたのかがわかるデータを教えてください。それさえわかれば、災害時の死者の数を必ずや10~20%くらいは減らせるはずです」と進言しました。これはつまり、「一人ひとりがどのような状況で亡くなったのか」という情報の整理を意味します。
個人情報とは、ご存命の方の情報のことを指すため、亡くなった方の情報は含まれません。しかし、自治体の様々な配慮があり、そうした情報はこれまで全く取りまとめられてきませんでした。それでも、災害で命を落とされる方を減らしたいのであれば、必要なデータといえます。こうした経緯があり、最近亡くなった方の状況を示すデータを徐々にまとめようとしていると聞いています。
これが私の考える「リセットの発想」であり「データのデザイン」でもあります。何をしたいのかを明らかにし、それに必要な方法論をゼロから考え、必要なデータを作っていく。企業さんにもぜひ、「そもそも我が社は、社会にどういう益を提供するのか」「それには今、何をしなくてはいけないのか」を考えた上で、データを有効に活用していただきたいと考えています。まさしく今は、そうした「リセット」を行う絶好のチャンスでしょう。
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