「日本映画を代表する女優」が42歳で引退、それから50年以上も人目に触れぬ生活、「伝説」原節子が貫いた自身の美学 ベルリン訪問中にローライフレックスカメラで警察官を撮影する20歳くらいの時の原節子(写真:ullstein bild/Getti/共同通信イメージズ) (画像1/8) 1940年ごろ、20歳前後だった原節子(写真:ullstein bild/Getty/共同通信イメージズ) (画像2/8) 『東京物語』の原節子と笠智衆(Screenshot of the movie, Public domain, ウィキメディア・コモンズ経由で) (画像3/8) 1960年の成瀬巳喜男監督の東宝映画「娘・妻・母」撮影の合間に談笑する(左から)団令子、原節子、高峰秀子、三益愛子(写真:共同通信社) (画像4/8) 撮影中の小津安二郎監督の「秋日和」や近況について語る原節子=1960年7月、東京・狛江の自宅で(写真:共同通信社) (画像5/8) 原節子が売却した東京都狛江市内の宅地(写真:共同通信社) (画像6/8) 2015年9月5日に原節子が亡くなっていた。その死去が公表された翌日の11月26日、自宅前に詰めかけた報道陣に同居していた甥が応じていた=鎌倉市(写真:産経新聞社) (画像7/8) 『偉人の生き延び方 副業、転職、財テク、おねだり』(栗下直也著、左右社) 拡大画像表示 (画像8/8) 「日本映画を代表する女優」が42歳で引退、それから50年以上も人目に触れぬ生活、「伝説」原節子が貫いた自身の美学 この写真の記事を読む