上野に散った「彰義隊」、武士の最上級エリート集団だった彼らや遺族の手紙が大量発見、時を越えた官軍史観への異議 上野戦争の様子を描いた歌川芳盛「本能寺合戦之図」。タイトルは「本能寺合戦」となっているが実際は上野戦争を描いたもの(歌川芳盛, Public domain, ウィキメディア・コモンズ経由で) (画像1/14) 現在の寛永寺 (画像2/14) 上野戦争後、焼け野原になった寛永寺(不明Unknown author, Public domain, ウィキメディア・コモンズ経由で) (画像3/14) 「幕末血涙史」(山崎有信著)。当時の表紙の復刻 (画像4/14) 大藏さんの曽祖父の兄・新井貢 (画像5/14) 大藏八郎氏。2024年5月15日、上野公園で行われた彰義隊法要にて(筆者撮影) (画像6/14) 『彰義隊士の手紙: 続「新彰義隊戦史」』(大藏八郎著、勉誠社) (画像7/14) 大藏氏と発見された山崎有信氏宛ての大量の手紙 (画像8/14) 書籍に収録後、これらは東大史料編纂所に寄贈されたという (画像9/14) (画像10/14) 『彰義隊士の手紙』には榎本武揚の手紙を掲載したページも (画像11/14) 彰義隊の墓 (画像12/14) 2024年の法要の様子 (画像13/14) 『開成をつくった男、佐野鼎』(柳原三佳著、講談社) 拡大画像表示 (画像14/14) 上野に散った「彰義隊」、武士の最上級エリート集団だった彼らや遺族の手紙が大量発見、時を越えた官軍史観への異議 この写真の記事を読む