「あの人」の引き際--先人はそのとき何を思った 1 2 3 4 最新 「日本資本主義」を作った男・渋沢栄一、実業界引退後に築いたもうひとつの豊穣な人生 【新連載】「あの人」の引き際――先人はそのとき何を思ったか 2024.6.25(火) 栗下 直也 フォロー フォロー中 時事・社会 シェア7 Tweet この写真の記事へ戻る 新一万円札の”顔”となった日本資本主義の父・渋沢栄一(写真:共同通信社) 拡大画像表示 1866年頃、幕臣時代の渋沢栄一(Unknown author, Public domain, ウィキメディア・コモンズ経由で) 拡大画像表示 慶応3年(1867年)に撮影された洋装の渋沢栄一(Unknown author, Public domain, ウィキメディア・コモンズ経由で) 拡大画像表示 羽織袴で腰に大小2本の刀を差した渋沢栄一(写真:Hulton Archive/ゲッティ/共同通信イメージズ) 拡大画像表示 長年評議員を務めた日本女子大の生徒たちに万歳で90歳の誕生日を祝福される渋沢栄一(中央)。その左は兼子夫人=1929(昭和4)年7月6日、東京・目白の日本女子大(写真:共同通信社) 拡大画像表示 病気療養中でありながら、大規模洪水被害に見舞われた中華民国を支援するため義援金募集をラジオ放送で呼び掛ける中華民国水災同情会会長の渋沢栄一(中央)と、兼子夫人(右端)、長男篤二(栄一の左後ろ)ら家族。渋沢はこの約2カ月後、91歳で亡くなった=1931(昭和6)年9月6日、東京・飛鳥山の自邸(写真:共同通信社) 拡大画像表示