武田信玄の西上作戦、目的は信長討伐ではなかった? 第4次川中島合戦で、信玄の拠点となった海津城。関ヶ原の戦いの前に当時の城主森忠政が「待城」、その後松平忠輝が「松城」と改め、真田三代藩主幸道のときに松代城と改められた。 (画像4/5) (画像5/5) 甲府駅前にある武田信玄像 (画像1/5) 武田信玄が本拠地とした躑躅ヶ崎(つつじがさき)館。現在は城内に武田神社が鎮座している。撮影/西股 総生 (画像2/5) 「毘沙門天の化身」といわれた上杉謙信。背後に見えるのは居城の春日山城。撮影/西股 総生 (画像3/5) 第4次川中島合戦で、信玄の拠点となった海津城。関ヶ原の戦いの前に当時の城主森忠政が「待城」、その後松平忠輝が「松城」と改め、真田三代藩主幸道のときに松代城と改められた。 (画像4/5) (画像5/5) 甲府駅前にある武田信玄像 (画像1/5) 武田信玄が本拠地とした躑躅ヶ崎(つつじがさき)館。現在は城内に武田神社が鎮座している。撮影/西股 総生 (画像2/5) 武田信玄の西上作戦、目的は信長討伐ではなかった? この写真の記事を読む