青い目の人形を受け入れた渋沢栄一が考えていたこと すべての行動に「合理性」と「道徳経済合一」があった 2018.3.5(月) 有井 太郎 フォロー フォロー中 経営 人物 地域経済 シェア20 Tweet この写真の記事へ戻る 『東京府名勝図絵』より、1912(明治45)年の新橋市街の様子。(写真:国立国会図書館) 國學院大學経済学部准教授の石井里枝氏。東京大学経済学部卒業。同大学院経済学研究科博士課程修了。博士(経済学)。三菱経済研究所研究員、愛知大学経営学部准教授を経て現職。著書に『戦前期日本の地方企業‐地域における産業化と近代経営‐』(日本経済評論社)、『日本経済史』(ミネルヴァ書房)などがある。 渋沢 栄一(しぶさわ・えいいち):1840〜1931年。埼玉県の農家に生まれ、若い頃に論語を学ぶ。明治維新の後、大蔵省を辞してからは、日本初の銀行となる第一国立銀行(現・みずほ銀行)の総監役に。その後、大阪紡績会社や東京瓦斯、田園都市(現・東京急行電鉄)、東京証券取引所、各鉄道会社をはじめ、約500もの企業に関わる。また、養育院の院長を務めるなど、社会活動にも力を注いだ。(写真:国立国会図書館)