行賞はなし?

刀伊の襲来を受けた筥崎宮。楼門にある「敵国降伏」の扁額は鎌倉時代の元寇以降に掲げられたとされる 写真=Eizo/イメージマート

 未曾有の危機を救ったのだ。隆家らは、さぞかし膨大な行賞が貰えるだろうと思いきや、そうではなかったようである。

 都から届いた同年4月18日付の勅符(諸国に勅命を下すための公文書)には、「勲功者には行賞を与える」とあったため、隆家は11人の勲功者の名を連ねた注進状(報告書)を送っている。

 勲功者のトップに名が記されたのは平為賢で、隆家は入っていない。

 同年6月29日には陣定が開かれ、勲功者の処遇が議論された。

 意外なことに議論されたのは、勲功者にどのような行賞を与えるかではなく、行賞を与える必要があるか、否かであった。

 刀伊との戦闘は4月13日に終わっており、勅符が到着する前に勲功を挙げているのだから、行賞は不要ではないかというのが、その理由だった。

 渡辺大知が演じる藤原行成と町田啓太が演じる藤原公任は、「行賞は不要」と主張したが、藤原実資は「行賞を与えなければ、今後、奮戦する者がいなくなる」と意見し、最終的には行賞が認められた(『小右記』同日条)。

 だが、隆家も為賢も、何も貰えなかったのかもしれない。

 史料に残る限り、行賞を得たのは、大蔵種材と藤原蔵規の二人のみだという(倉本一宏『戦争の日本古代史 好太王碑、白村江から刀伊の入寇まで』)。

 この結末を、隆家がどう感じたのかはわかっていない。

 ドラマの隆家なら、自分はともかく、配下の者には報いて欲しかったと思ったのではないだろうか。