隆家、自ら最前線で指揮を執ることに【4月8日】
4月8日、刀伊の兵船が筑前国那賀郡能古島(現福岡市西区)に来着した。
刀伊軍に対応するため、能古島の南方に位置する博多警固所(防衛施設)に、神尾佑が演じる平為賢らが派遣され、防衛にあたった。
大宰府はこの日も解文を作成し、飛駅使を都へ送っているが、それによれば、隆家が自ら軍を率いて警固所に至り、合戦することになったという(『小右記』寛仁3年4月18日条)。
心酔する隆家が最前線で指揮を執る――大宰府軍の士気は、さぞかし上がったことだろう。
平為賢の活躍【4月9日】
4月9日早朝、刀伊軍は博多田(現福岡市博多区)に来襲し、警固所を攻撃した。
この時、平為賢とおそらく彼の一族と思われる平為忠が、「帥首(指揮官)」として敵軍に馳せ向かい、多くの敵を射殺した。刀伊との戦いにおいて、為賢はめざましい活躍をみせたといわれる(野口実『列島を翔ける平安武士 九州・京都・東国』)。
また、藤原実資の日記『小右記』寛仁3年4月25日条には、刀伊人は筥崎宮(現福岡市東区箱崎)を焼こうとしたが、大宰府兵が前行する兵を一人射殺したところ、船に乗って逃げ出したことが記されている。