20歳の若さで薨じる
道長は同年(寛弘8年)5月27日、一条天皇に断りもなく譲位を発議し、翌5月26日、一条天皇は病のなか、側近の藤原行成に敦康親王の立太子について相談した。
道長にも近しい行成は、敦成親王の立太子を提言し、一条天皇も受け入れた。
同年6月13日、一条は譲位し、皇太子であった居貞親王が践祚し、三条天皇となった。ドラマでは木村達成が演じる。
三条天皇は長和5年(1016)正月29日、眼病の悪化と道長の圧力を受け、彼の第一皇子の敦明親王(母は三条天皇の皇后・藤原娍子)の立太子を条件に譲位する。
これにより、彰子の長男で、道長の孫の敦成親王が9歳で践祚し、後一条天皇となった。
同年5月に三条院が崩御すると、後ろ盾を失った敦明親王は、8月に自ら皇太子を辞した。
彰子はこの時も、次の皇太子には定子が産んだ敦康親王を推したとされるが、皇太子に立てられたのは、彰子の次男・敦良親王だった。
敦康親王はついに立太子することなく、寛仁2年(1019)12月17日に、20歳の若さで薨じた。
歴史物語『栄花物語』巻第十四「あさみどり」によれば、彰子は敦康親王の死を悲しみ、「敦明親王の次の東宮(皇太子)になられていたら、どんなによかったでしょうに」と嘆いたという。
敦康親王は立太子を阻んだ道長を、恨んでいたのだろうか。
道長の一族は、怨霊となった敦康親王に苦しめられることになる。