文=難波里奈 撮影=平石順一
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木の温もりを感じる、隠れ家のような空間
学生時代、膨大な時間を過ごしたのが下北沢だった。用事がなくてもただふらふらと街を歩いて、喉が渇いたら喫茶店に入ってぼんやりと過ごす・・・。思い返すと退屈なようで、自由かつ贅沢な日々だったのかもしれない。それからずいぶんと時間が経った今も、たまにこの駅で降りたときに目指す店がある。すっかり様変わりした駅周辺を抜けて、向かうのは「トロワ・シャンブル」。
階段を上がって2階へ。初めてだったら少し躊躇するような扉を開けると、珈琲と煙草の混じった匂いが流れて来る。フランス語で“3つの部屋”を指すこちらは、カウンター席と大きなテーブル席、柱の裏側にある席に分かれた広い空間、奥はとっておきの個室のような左右の3つの空間からなる。
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創業は1980年、「サラリーマンになりたくなかった」という松崎寛さんが開いた。中学校を卒業したらすぐにでも働きたかったそうだが、祖父のすすめで大学まで進学し、人間工学やロボット工学を学んだ。お金のためだけではなく、自分が生きていくうえで血肉になるような仕事がしたいという想いを持っていた松崎さんは、マックス・ヴェーバーの著書などに影響を受けたという。
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若い頃は、日本中の珈琲屋を巡り、 銀座の老舗珈琲店 カフェ ド ランブルや、今は無き「伝説」と言われた吉祥寺のモカへも行った。そこで働きたいと思ったが、あいにく募集がなかったそう。そんな中、今も営業している六本木のカファブンナで飲んだ「五番町」という名前の珈琲に痺れ、自分の店を開くことに。
6m15cmもある米松の一枚板のカウンター、古民家で使用されていた天井梁、特注で作られた中央にある棚などから出来た店内は二ヶ月あまりで完成し、創業当時から今もそのままの様子を保っている。内装の満足度について尋ねてみると、「9割くらいかな」と松崎さん。
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トロワ・シャンブルで味わえるブレンドは、“ニレ”と“カゼ”。当時、「珈琲の天才」とされた初代社長、林氏が創業したコクテール堂の豆で淹れる珈琲は神保町のトロワバグなど、さまざまな人気店でも飲むことができる。
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松崎さんの思う美味しい珈琲とは、「コクがあってキレがある。コクが何かって言われると難しいんだけど。砂糖やクリームに負けない味かな」とのこと。ここで40年以上珈琲を淹れている松崎さんの珈琲はとても安定した味わい。
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そのコツを聞いても簡単に言葉で表現できるものではないことは承知の上で、なんとかヒントを聞き出そうとすると「一万回淹れた人の珈琲は信用できる、と聞いたことがある」と教えてくれた。年数にすると3年くらいだろうか。気の遠くなるような回数、一生懸命同じ動作を繰り返してようやく勘が働くようになるのだろう。
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陳腐な質問だと思いながらも最後に「松崎さんにとって、珈琲とはどんな存在か」と聞いてみる。少しの沈黙の後、「考えたこともないなあ」と一言。続けて「これでいい、がない。正解がないから飽きが来なくて面白いんだろうね。キリがないから」と笑顔になった。
その表情を見たときに、本当に珈琲が好きで、珈琲が人生なのだなあと思う。以前、名高い漫画家からも同じ言葉を聞いたことを思い出す。そんな風に、珈琲を愛し、珈琲に愛されている松崎さんがカウンターに立つこの場所がある限り、これからも下北沢を目指そう、と思った。
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