結婚と夫の死
長徳2年(996)、父・藤原為時は越前守に任じられ、ようやく長い無官の時代に幕を下ろした。
紫式部は父と共に、越前国に下向した。紫式部は、24歳前後だったと思われる。
紫式部らは越前国府(福井県越前市)の廓内ある国主館に起居したという(角田文衞『紫式部伝――その生涯と『源氏物語』――』)。
翌長徳3年(997)、紫式部に都から求婚の書状が送られてきた。
送り主は、佐々木蔵之介演じる藤原宣孝(生年不詳~1001)である。
宣孝は藤原北家高藤流に属し、紫式部とは又従兄妹の関係にあった。優秀な官人であり、父・為時の元同僚である。確認されているだけでも、すでに三人の女性との間に四人の息子をもうけていた。
宣孝の生年は不明だが、長男の藤原隆光が紫式部と同じくらいの年齢であることから、紫式部より20歳くらい年長であったと考えられている。
紫式部は父を残して帰京し、翌長徳4年(998)の冬に、この藤原宣孝と結婚している。
しかし、紫式部は嫡妻ではなかった。宣孝は嫡妻と暮らし、紫式部のもとに通っていたという。
紫式部と宣孝の間には、長保元年(999)頃には、賢子(けんし)という女子が誕生している。
ところが、長保3年(1001)4月25日、宣孝は死去してしまう。
紫式部、29歳の頃であった。
紫式部が『源氏物語』を書き始めたのは、宣孝の死後、間もない時期からだったともいわれる。