徳川四天王の最年長
酒井忠次は大永7年(1527)に、三河国で生まれた(『寛政重修諸家譜』)。
家康より15歳、山田裕貴演じる本多忠勝と杉野遥亮が演じる榊原康政より21歳、板垣李光人演じる井伊直政より33歳年上である。
徳川四天王の一人といっても、酒井忠次は他の三人と世代が異なるのだ。
忠次は、飯田基勇が演じた松平広忠(家康の父)の代から、岡崎松平家の重臣であった。
『寛政重修諸家譜』によれば、天文18年(1549)3月に松平広忠が死去した後、家康が野村萬斎演じた今川義元の庇護を受け、駿河国府中(駿府 静岡市)で生活することになった際に、忠次も旧臣ともに随従し、駿府に住したという。
家康の叔母を妻に迎える
永禄3年(1560)年5月に起きた「桶狭間の戦い」で今川義元が討死すると、家康は本領の三河国岡崎(愛知県岡崎市)に戻った。そして、今川氏から独立し、織田信長と同盟を結んで、三河国の平定を果たしている。
この三河平定戦において、忠次は重臣筆頭として活躍した。
永禄7年(1564)、東三河の今川家の拠点・吉田城(愛知県豊橋市)攻めにおいて、忠次は先鋒を務めている。
吉田城が陥落すると、忠次は吉田城代に抜擢され、家康から東三河の統治を任された。
永禄4年(1561)、忠次は妻を迎えている。
ドラマの忠次の妻は、猫背椿が演じる「登与」であったが、『寛政重修諸家譜』によれば、忠次の妻は「碓井姫」といい、家康の祖父・松平清康の娘(家康の叔母)である。
碓井姫ははじめ、長沢松平家の松平政忠の妻であった。
ところが松平政忠は、桶狭間の戦いで討死したため、碓井姫は忠次に、再嫁することとなったという。
碓井姫の実名は、不明である。忠次が吉田城に居を移すと、「吉田姫」と称され、天正18年(1590)に、忠次の子・酒井家次が下総臼井国に転封となると臼井城に移り、「碓井(臼井)姫」と称された(致道博物館編集『時を刻む―酒井家庄内入部四〇一年特別展 徳川家康と酒井忠次』)。
この結婚により、忠次は家康と姻戚関係で結ばれた。家康の忠次への信頼の証だろう。
家康の信頼に応えるように、忠次は家康を支えていく。