ラファエロの最期

《キリストの変容》1518-20年 油彩・板 405×278cm フィレンツェ、ピッティ美術館

 1520年、ラファエロは《キリストの変容》(1518-20年)を完成させたのち、原因不明の高熱が1週間続き、37歳の誕生日にその生涯に幕を下ろします。

 死因は女性たちとの関係が激しすぎたための腎虚だったとよく言われますが、多分今でいう過労死だったのではないかと思われます。それほど膨大な依頼をほとんど断ることなくこなし続けました。

 絶筆となった《キリストの変容》は、のちに教皇クレメンス7世となるジュリオ・デ・メディチ枢機卿が、ミケランジェロ一派の中心的人物セバスティアーノ・デル・ピオンボと競わせようとしてラファエロにも注文したことから、ほとんどひとりで仕上げた作品です。

 上部にキリストが受難の前に弟子のペテロ、ヤコブ、ヨハネを連れて高い山に登ると、モーセとエリヤという預言者が現れるというキリストの変容の場面、下部に悪魔に取り憑かれておかしくなっている少年が癒される場面という構成で、強烈な明暗対比や劇的な表現がラファエロ的ではないとして、弟子の作品とされていた時期もありましたが、これが最晩年の表現だったのです。次の世代の表現をみごとに描ききり、次の画家たちへとバトンをつなぐ作品と言っていいでしょう。

 この絵を含む数多くの優れたデッサンも残されていて、美術史上、もっとも優れた素描家であったことも証明されています。

《バルダッサーレ・カスティリオーネ》1514-15年 油彩・カンヴァス 82×67cm パリ、ルーヴル美術館

 また、数多く残している神話画でもラファエロは卓越した才能を発揮しました。さらに友人である著述家を描いた《バルダッサーレ・カスティリオーネ》(1514-15年)では、リアリスティックで精緻な筆致で人物の個性まで生き生きと描き出し、《教皇ユリウス2世》(1511-12年)、《教皇レオ10世》(1517-18年)では教皇の肖像の定型をつくるなど、その素晴らしい表現は後世の肖像画の模範となりました。

《教皇ユリウス2世》1511-12年 油彩・板 108×80cm ロンドン、ナショナル・ギャラリー
《教皇レオ10世》1517-18年 油彩・板 154×119cm フィレンツェ、ウフィツィ美術館

 精緻なデッサンをもとに、聖母子像、肖像画、神話画、ヴァチカンの大規模な壁画装飾、建築と、どの分野においても美の世界を表現したラファエロは まさしくルネサンスを象徴する天才芸術家でした。

画面左がどこか疲れた表情のラファエロ
《友人のいる自画像》 1518年 油彩・カンヴァス 99×83cm パリ、ルーヴル美術館

参考文献:
『もっと知りたい ラファエッロ 生涯と作品』池上英洋/著(東京美術)
『ラファエロ−ルネサンスの天才芸術家』深田麻里亜/著(中公新書) 
『ルネサンス 三巨匠の物語』池上英洋/著(光文社新書) 
『ルネサンス 天才の素顔』池上英洋/著(美術出版社) 
『名画への旅 第7巻 モナ・リザは見た 盛期ルネサンス1』木村重信・高階秀爾・樺山紘一/監修(講談社)他