ルネサンスを牽引し、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ラファエロとともに三巨匠と称されるミケランジェロ。「神のごとき」と呼ばれたその才能は、彫刻を抜きにしては語れません。

文=田中久美子 取材協力=春燈社(小西眞由美)

《ピエタ》1499年 高さ174cm 大理石 ヴァチカン、サン・ピエトロ大聖堂

彫刻を知らないと絵画は理解できない

 美術史に絶大な影響を与えた盛期ルネサンスは、実は30年くらいの短い期間でした。その期間にレオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ・ブオナローティ、その中庸ともいえるラファエロ・サンティという三巨匠がフィレンツェで遭遇したこと自体、奇跡といえるでしょう。

 3人の関わりはとてもおもしろく、とくにレオナルドとミケランジェロがお互いをライバル視した逸話などは、盛期ルネサンスというカテゴリーだけでは語れない劇的なドラマを生み出しています。

 また、レオナルドの生涯も穏やかではありませんでしたが、ミケランジェロはさらに激しく、複雑な人生を歩みます。乱暴者で喧嘩っ早く、今風にいうなら、とんがった人物でした。しかしそれが、彫刻や絵画にみてとれる壮大さを生み出した原動力だったかもしれません。

ヤコピーノ・デル・コンテ《ミケランジェロの肖像》1535年頃 98.5×68cm 油彩・板 フィレンツェ、カーサ・ブオナローティ

 ミケランジェロとレオナルドの仲が悪かったという話は有名です。

 23歳も年上のレオナルドは美男で物静かなタイプ、一方のミケランジェロは無骨で怒りっぽいという、外見も性格も正反対でした。また、ミケランジェロは文学的な教養の面などで、レオナルドにコンプレックスを抱いていたようです。

 ミケランジェロにとっては絵画よりも彫刻が絶対的な存在で、絵画は彫刻のための手段のひとつと考えていました。「絵画は浮彫りのようになればなるほど良いものになり、浮彫りは絵画のようになるほど悪くなる」(1547年、知人への手紙)というのがミケランジェロの考えでした。レオナルドとの対立も、単に才能があるふたりが競ったというだけでなく、根底にはこの芸術観の違いがあったのです。

 ふたりは彫刻と絵画のどちらが優れているかという論争を繰り広げます。美術界ではこのような芸術分野の比較を「パラゴーネ(paragone)」といいますが、この点がまったく相入れなかったのです。

 ですから、ミケランジェロを理解するためには、彫刻について知ることが大切になります。その生涯を辿りながら、代表的な彫刻作品を紹介していきましょう。