「ものには輪郭線はない」として生み出したスフマート
リアリストのレオナルドには、自然界にないものは描かないという信念がありました。徹底した観察によって「ものには輪郭線はない」としたレオナルドは、絵画の基本である輪郭線を描かずに、すべてをグラデーションによって描き出す「スフマート」という技法を生み出します。スフマートは「煙」を意味するイタリア語に由来し、レオナルドは「空気に消えてゆく煙のように」描写することを目指したのでした。
スフマートができた背景には油彩の存在があります。それまでのイタリア絵画の手法はテンペラといって、工房の同僚だったボッティチェリの《ヴィーナスの誕生》のように、板の上に顔料と溶剤(主に卵黄)を混ぜて塗り、乾くのを待つ方法でした。
壁画も「フレスコ」といって漆喰が乾く前に描き上げなければなりません。テンペラやフレスコの技法は、下絵の段階で完全に出来上がっているものを写して急いで作業しなければならないため、まず輪郭線をしっかり描く必要があるのです。
しかし、油彩は乾くまでに時間がかかるため、何度も描き直すことができます。また、色を混ぜることも簡単で、透明感もありました。まさに筆が遅く、試行錯誤しながら描くレオナルドにぴったりでした。
油彩は中世から知られていたもので、ルネサンス期のネーデルラントで進化して初期フランドルの画家ヤン・ファン・エイクが完成したと言われています。油彩によって北方の画家が得意とする緻密な表現が可能になったのでした。
イタリアではシチリア島出身の画家アントネッロ・ダ・メッシーナがいち早く取り入れたため、彼はイタリアの油彩画の始祖と呼ばれています。レオナルドはおそらくヴェネツィア派の画家から油彩の情報を得たのだと思われます。
レオナルドは指の先や手の甲を使って、煙のように絵をぼかしました。そのため、《ジネヴラ・デ・ベンチ》(1478-80年)という肖像画などには、指紋がはっきり残っています。この作品ではまだ顎や瞼にはっきりとした線が描かれていますが、晩年になればなるほど徹底してこの技法を用い、輪郭線をなくしました。この新しいスタイルを実現することができたのは、油彩の存在があったからなのでした。
スフマートはレオナルドから影響を受けたコレッジョなども用いましたが、その域には達しませんでした。この技法はその後、バロックやロマン主義の絵画様式にも受け継がれていきます。
師を圧倒した才能
レオナルドと油彩には、次のようなエピソードが伝わります。
アンドレア・デル・ヴェロッキオの工房で働いていたレオナルドは、《キリストの洗礼》(1472-75年頃)の左の天使と遠景を任されます。当時の工房では何人かで分担して作品を仕上げていましたが、この絵の主要部分は師のヴェロッキオが担当し、部分的にレオナルドが手を加えました。この絵で師は伝統的技法のテンペラで描き、レオナルドは油絵を用いています。
レオナルドが描いた天使の巧みな肉体表現と風景描写を見たヴェロッキオは、二度と筆を取ろうとはしなかったそうです。
参考文献:『レオナルド・ダ・ヴィンチ 生涯と芸術のすべて』池上英洋/著(筑摩書房) 図録『レオナルド・ダ・ヴィンチ—天才の実像』他