珍しい「神像」は必見
よみがえりの水をいただき、天狗の顔を確認したら、次は庭園鑑賞だ。ここから先は有料であるが、それだけの価値は十分ある。現代最高の庭園芸術家である重森三鈴氏の作品を三つも見られるのだ。社殿がなく磐座をご神体としていた古代を思わせる「上古の庭」、平安貴族のみやびを伝える「曲水の庭」、池を中心とする不老不死の仙界を表現する「蓬莱の庭」。三つの異なる世界を一度に体感できる贅沢な空間だ。
同じチケットで入れる神像館も必見である。神道では本来、神の姿は描いたり見たりするものではないとされるが、平安時代以降、仏教の影響を受けて、神の像も作られるようになった。
仏像に似ているが、明らかに違う不思議な神秘性が感じられるため、わたしは神像がとても好きである。しかし前述のように神の姿は見るべきものではないので、神社ではめったに拝ませてもらえず、博物館の展示で見ることが多い。しかしこちらの神像館には、なんと21体もの神像が並んでいる。
まずは、一本造り、等身大座像の三体に目が引き付けられる。平安時代初期の先で、男神像(老年)、女神像、男神像(壮年)があり、老年の男神はこちらの主祭神の大山咋神、女神像はもう一柱の祭神である市杵島姫命、壮年の男神像はこの二柱の御子神とされている。
その他、平安時代から鎌倉時代にかけて造られ、こちらの神社の摂社、末社に祀られていた神像が18体あり、見ごたえたっぷりだ。
庭園の左脇の山道を登ったところには、社殿が建つ以前から祭祀が行われていた磐座もある。たいへん神聖な場所で、昔は神職以外立ち入ることができなかったが、その後入山料を納めれば一般人も登拝できるようになった。しかし、平成30年の台風により登拝路が崩れたため、現在は一切の立ち入りが禁じられている。
お参りを終えたら、ぜひ、摂社の月読神社にも足を伸ばしたい。境外社なので少し歩くが、よい散歩にもなる。
祭神は月読尊。天照大神の兄弟神として知られるが、こちらの月読はその月読とはまた別の神だ。長崎県の歴史の島、壱岐にも月讀神社があり、祭神は古代氏族である壱岐氏によって祀られた月神(海の干満を司る神)である。こちらの月読はそこから勧進されたものという。
古代における壱岐や対馬が大陸との交通の要衝としてたいへん重要であったことを示す神社が、今は京都の西の端にひっそりと鎮座している。周囲はごく普通の住宅街だが、このあたりが実は古代の歴史を伝える場所であると思うと、なんだか感慨深い。