文=中野香織
日本とのつながりも深い世界的デザイナーの功績
「マリー・クワント展」が東京・渋谷のBunkamura ザ・ミュージアムで開幕した。2023年1月29日まで開催される。ロンドンのヴィクトリア・アンド・アルバート博物館の世界巡回展で、現時点では東京が最後の開催地となる。
ミニスカートによって社会変革を成し遂げたデザイナーの日本初の回顧展が開催されることだけでも喜ばしいのに、同時に、サディ・フロスト監督によるドキュメンタリー映画「マリー・クワント スウィンギングロンドンの伝説」まで公開された。
展覧会に伴い発売される図録本も、各分野の専門家が執筆した論考を編集した220ページを超える本格的なクワント研究書であることを思うと、作品・映像・歴史資料という多角的アプローチからのマリー・クワント大文化祭が開催されていると見ていい。日本とのつながりも深い世界的デザイナーの功績を学べる絶好の機会である。
ここでは展覧会のパネルおよび図録を翻訳監修した立場から展覧会の見どころを解説する。背景に広がる文化的コンテクストのなかに作品を理解することで、今回の“文化祭”を通して浮き上がるマリー・クワントの歴史的意義と現代にも影響を与えるレガシー
イギリス全土を巻き込んだ「わたしたちのクワント」的展覧会
本展では1955年から1975年までのクワントの活動を網羅する100点余りの衣服などが披露されるのだが、本家ロンドン展ではさらに多くのアイテムが展示されていた。そこにはこのブランドに似つかわしい特殊性があった。展示される衣服や写真には、イギリス全土から寄贈あるいは貸出されたものも多数含まれていたのである。
ヴィクトリア・アンド・アルバート博物館がSNSとメディアを通じ、#WeWantQuant(クワントを求む)キャンペーンをおこない、クワントがデザインした洋服とそれにまつわる思い出を募集したところ、当時の服や写真を保管していた多くの「一般の」女性たちが応じたのだ。
その結果、展覧会の主催者がおそらく当初は予想しなかったアイテムや写真やストーリーまで集まり、展示のニュアンスに影響を与えたことが想像できる。一般の女性から貸与された服や写真はロンドン展終了後に返却されたりして日本展では展示されないものも一部あるが、そのようなアイテムはエピソードとともに図録のほうに収録されている。
学芸員によるディレクションは入っているものの、同時代のクワントに少しでも触れたことのある市井の人たちの生々しい記憶の貢献が、図録を含む展覧会全体に生命観と親近感を与えている。
ファッションやジュエリーの展覧会に「個人蔵」のアイテムが飾られることはしばしばあるが、ほとんどの場合、富裕な上流階級(「○○公爵夫人など」)のクローゼットや金庫に保管されている高級な一点ものである。
しかし、今回、貸し出された「個人蔵」のアイテムは、大量生産が始まった時代の民主的な既製服である。それが個人の思い出とともに保管され、半世紀以上経った後に主催者の呼びかけによって一か所に集まり、その集合体がクワントの物語と同時代の文化や産業を語るのである。
このように社会全体をオープンに巻き込み、「わたしたちのクワント」展にしたことに主催者のセンスが光る。実際、クワント展はイギリスにおいて、ファッションの展覧会としては異例の約40万人を動員している。多くの人に「わたしのクワント」を感じさせたこともまた、成功の一因だったのではと推測する。