京都の新たな名物、「元小学校のホテル」

 京都では1980年代から都心部の人口減少と少子化がすすみ、これをうけて市内の小学校の統廃合が進められることになった。

 しかし、地域にとって特別な意味と歴史を持つ京都の小学校は、閉校後の跡地の活用や校舎の転用についても市の一存で決定するものではないと判断され、学区住民との「濃密な」話し合いを重ねながら進められることになった。

 こうして京都に新たな名物が生まれることになる。「元小学校」の転用施設の数々である。

 京都市学校歴史博物館(旧開智小学校)、京都芸術センター(旧明倫小学校)、京都国際マンガミュージアム(旧龍池小学校)など、いずれも文化施設としての本来の機能はもちろんノスタルジックな近代建築としての魅力を満喫することもできる京都の新たな名所だ。

京都国際マンガミュージアム

 しかし、2000年代に入ってからも京都市内の少子化に歯止めはきかず、小学校跡地は増え続けることになった。そこで2011年11月に策定された「学校の跡地活用の今後の進め方の方針」において京都市はある決断を下す。小学校跡地活用の多様化をめざし、ついに市の事業だけでなく民間事業にも門戸を開いたのである。

 この決断はおりしもインバウンド・ブームの直前のことであった。つまり「お宿バブル」ともいわれた空前のホテル需要が京都に生まれようとしていた頃である。そんなとき、小学校跡地活用に民間の参入が許されたのだ。手を挙げたのは当然のごとく「お宿」であった。

 こうして「元小学校の文化施設」に続いて、いま新たな京都名物が生まれつつある。「元小学校のホテル」である。

 先述のザ・ゲートホテル京都高瀬川 by HULIC(元立誠小学校)とザ・ホテル青龍(元清水小学校)はすでに開業し、学区住民に愛されてきた小学校時代の面影を色濃く残しながら地域文化や地域住民の生活とツーリズムの新たなつながりを模索する大胆なコンセプトで話題を集めている。

 さらに22年7月にはミュージアム・ホテルをコンセプトとする京都東急ホテル東山(旧白川小学校)がオープン。そして花街・宮川町の新道小学校跡地ではホテルとともに芸舞妓が芸を磨く歌舞練場と一体となった再開発プロジェクトが立ち上がっている。

 どれもコンセプトと個性を磨き抜いたホテルばかりである。まさにこの街がツーリズムにおけるさまざまな実験の舞台となる観光先進都市であることを実感できる刺激的で示唆に富む事例といえるだろう。

 しかし、忘れてはいけないのは、なによりこれらの小学校は「ただの小学校」だったわけではないということだ。一筋縄ではいかない「ややこしい」街の人々が自分たちの誇りと子供たちの未来のために身を削りながら大切にしてきた、彼らのローカル・アイデンティのまさにど真ん中のシンボルだったものである。だからこそ、その転用のあり方においても事業者と地域住民の話し合いが他地域の事例では考えられないほど濃密に続けられてきたのだ。

 つまり、「元小学校のホテル」という新しい京都名物を訪れた人々が目にする個性的で「オシャレ」なホテルは、単にSNSに映えるという次元ではなく、ツーリズムと街の歴史が妥協なく出会った成果といえるのである。

 とはいえ、ツーリズムと地域社会がどのように出会うべきかについては、この観光先進都市においてもまだまだ課題は山積みである。これらの野心的で美しい実験の数々が今後どのような歴史を刻んでゆくことになるかもまた、世界の旅人たちがこの街に戻ってきたころにあらためて明らかになることだろう。

 窓からの眺望が自慢の「元小学校」で食事を終えてコーヒーを飲みながら、ふと目線を足元に落とすと、そこは木屋町界隈。小さな町家の屋根が肩を寄せ合う、かつては海原の波にも見立てられた京都を象徴する景観のひとつである。そんな屋根の上で、飲み屋街にふさわしい立派な猫が丸くなって穏やかな昼下がりを満喫しているのが見えた。

 変わらない景色を、新しく生まれ変わった場所から眺める。この街に訪れた凪の暇もそろそろ終わりが近いようだ。

 

参考文献
大場修 2019『京都 学び舎の建築史 明治から昭和までの小学校』京都新聞出版センター
荻原雅也 2016「京都市都心部小学校の廃校と校区の状況に関する研究」『大阪樟蔭女子大学研究紀要』第6巻
川島智生 2015『近代京都における小学校建築 1869~1941』ミネルヴァ書房
辻ミチ子 1977『町組と小学校』角川書店