文=鷹橋 忍
オスマン帝国スルタンの宮殿
オミクロン株の流行や不穏な世界情勢によって、気軽に海外旅行を楽しめる日が戻るのは、もう少し先のことになりそうだ。
せめて記事の中だけでもインターナショナルな気分が味わえるよう、今回はヨーロッパとアジアが出会い、東西の文明が溶け合う国際都市——トルコ共和国のイスタンブールの宮殿をご紹介しよう。オスマン帝国の栄華を伝えるトプカプ宮殿である。
オスマン帝国とは、トルコ系のイスラーム大帝国だ。13世紀末から第一次世界大戦後まで、600年以上にもわたって存続している。最盛期の16世紀には、東ヨーロッパ、西アジア、北アフリカにまたがる広大な領域を支配し、ヨーロッパ諸国を圧倒した。
トプカプ宮殿は、オスマン帝国の第7代皇帝メフメト2世の命によって、建造された。
イスタンブールはかつて、コンスタンチノープルと呼ばれるビザンツ帝国の帝都であった。メフメト2世は、そのコンスタンチノープルを1453年に陥落させた皇帝(スルタン)である。コンスタンチノープルはオスマン帝国の帝都となり、徐々にイスタンブールと呼ばれるようになっていった。
イスタンブールは「ヨーロッパとアジアの架け橋」、「東西の交叉点」などと称されるように、ボスポラス海峡を境に、西がヨーロッパ、東がアジアに分れる。
メフメト2世がトプカプ宮殿を築いたのは、ヨーロッパ側の旧市街の細長い半島である。東はボスポラス海峡、北は金角湾、南はマルマラ海と、三方を海に守られた丘の上に建ち、ボスポラス海峡が広がる丘の先端からは、ヨーロッパとアジアの2つの大陸を眺められる。
トプカプ宮殿には4世紀にわたって歴代の皇帝が居住し、オスマン帝国の行政の府となった。なお、トプカプ宮殿の「トプ」は大砲、「カプ」は門を意味し、ボスポラス海峡側に大砲が設置されていたことが、その名の由来だという逸話がある。