『野のなななのか』で主演を務めて以来、大林映画のミューズとなった常盤貴子氏は先の東京国際映画祭で「走馬灯はその人にしか見られない、とよく言います。だけどサービス精神旺盛で、周りにあるネタをすべて映画にしてしまう大林監督が前倒しで走馬灯を見せてくれたんだなと思いました」と挨拶。核心を突いた解説だと思った。確かに、本作には大林監督が体験してきた幼少期の話から、本作を一緒にやろうとしたダンサー、ヒントン・バトル氏のことまでを紹介、病に倒れた氏にエールを贈っている。その爪痕を残しておくことを忘れない。

成海璃子は「転校生」の斉藤一美、山崎紘菜は「時をかける少女」の芳山和子、常盤貴子は「さびしんぼう」の橘百合子と、尾道三部作のヒロインの役名で演じる

 そして観客はミュージカル、時代劇、戦争アクション、ファンタジー、ラブロマンスといった映画の愉しさを体感しながら、映画が語ってきたことを他人事から自分事にしていく。「映画に感動することで、人生の何かを学ぶことができる」「映画で歴史を変えることはできないが、未来を変えることはできるかもしれない」「それが映画の力なんだよ」――大林監督はことあるごとに言い続けてきた。全身全霊をかけて作り上げた本作は、そんな大林監督の哲学(フィロソフィー)でできている。

『天国にいちばん近い島』で大林映画に初出演、『四月の魚』では主演を務めた高橋幸宏が映画の世界を宇宙船で飛び回る爺・ファンタとして出演

パワフルな映画体験に想う

 2時間59分。息もつかせない圧倒的な映像世界。遊び心満載で、何が出てくるか分からない。先の全く見えない展開にただただ驚くばかりだった。前代未聞の映画体験。長尺でありながら、時間の経過を忘れてしまう、没入感がある。誇張なしに、戦争の歴史を一気に体感した充足感があった。

 もともとは出資側との製作契約で「2時間以内の尺」が絶対条件だったそうだが、初号試写を観た奥山和由エグゼクティブ・プロデューサーは、どこもカットできるところがなく、「プロデュース歴初の契約違反を覚悟した」と振り返る。個人的には確信犯的に、大林監督は最初から誰も何も言えないほど圧倒的な映画を作ってやろうと目論み、形にされたのではと思っている。それだけの自信作となった。

 大林哲学を体感する映画。本来であれば、公開前後、監督はたくさんのメディアの取材を受け、あらゆる映画雑誌、Web、新聞にインタビュー記事が掲載されたはず。公開初日の舞台挨拶でも生き生きと本作について語られたのでは、と思う。本作の脚本を手掛けた小中和哉氏は「そのパフォーマンスを含めて大林映画」とも。

 これまで何度も大林監督に取材し、本作の現場取材もさせてもらったが、何でも名言にされる監督だけに、本作における名言をまた聞きたかった。それができなくなった喪失感は大きい。本作を反芻して解釈をするのは、観客自身の手に委ねられた。果たして、どこで着地するのが正解なのか。それを探りながら観るのも、また楽しい作業だろう。いずれにせよ大林監督の、この奇天烈な体験を共有できた喜びは大きい。

『海辺の映画館-キネマの玉手箱』
全国にて公開中(配給:アスミック・エース)
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