映画作家としての最後の演出!?

 その言葉通り、半年の余命宣告を受けながら、不死鳥のごとく何度も甦り、集大成と思われた『花筐』からさらにもう一作品、しかも前作以上の強烈なインパクトを放つ遺作『海辺の映画館』を作り上げた。

連日深夜まで続くハードな撮影だったが、大林監督は病人とは思えない気力で現場を指揮。「映画が一番の薬だから」と、そのバイタリティに驚くばかり

 そんな大林監督をどこかで不死身なんじゃないかと思っていた。見た目にはどんどん痩せられ、思うように動かない身体に苛立ちを見せてはいらっしゃったが、映画を観ると、そんなことは微塵に感じない。むしろよりパワフルに、より進化している。

 「僕はがんを受け入れちゃったからね。この頃、蟻も草も踏めなくなり、呼吸しているものが殺せなくなった。これはがんのおかげ。他者に対する優しさとか共感とか、そういうものが僕の中に今まで以上に身に付いた。表現者としての僕にとって、とてもいい才能を与えてもらえた。凄くいい財産をもらったと思っているんだ」と、『花筐』の取材で大林監督は語っていた。その前向きさ、がんと共存して生きていこうと決めたからこそ映画は作り続けられ、映画公開の日まで生きながらえたのでは、と思う。

 逝去されたのは4月10日。まさに『海辺の映画館』の公開が予定されていた、その日だった。どこまでもドラマティックで、自分の死すら演出されたのではないかと思うほど、大林監督は骨の髄まで映画作家だった。

 

他人事から自分事へ

 舞台は『あの、夏の日 ~とんでろじいちゃん~』(99)以来、20年ぶりとなる尾道。大林監督が18歳まで過ごした古里であり、尾道三部作『転校生』(82)『時をかける少女』(83)『さびしんぼう』(85)、新尾道三部作『ふたり』(91)『あした』(95)『あの、夏の日』の舞台となった街である。

 本日が最終日となる尾道唯一の映画館「瀬戸内キネマ」では、日本の戦争映画大特集のオールナイト上映が行われていた。映画を観ていた3人の青年は突然劇場を襲った稲妻の閃光に包まれスクリーンの世界へ。戊辰戦争、日中戦争、太平洋戦争の沖縄戦、そして8月6日に原爆投下される直前の広島にタイムリープし、それぞれの時代の戦争を追体験していく。

スクリーン世界へタイムリープする(右から)鳥鳳介、馬場毬男、団茂。それぞれ映画監督のフランソワ・トリュフォー、マリオ・バーヴァ、ドン・シーゲルをもじった役名に

 タイトルの「海辺の映画館」は恭子プロデューサーが命名し、副題の「キネマの玉手箱」は〝その誕生以来、世界中の人々を驚嘆させ、感動の嵐に巻き込んだキネマ=映画なる人類の玉手箱に敬意を捧げ〟大林監督が付けた。いわば本作は、活動写真機を3歳で手にし、幼少期の頃から映画制作を開始、並行して映画を観続けてきた大林監督の記憶、体験、想いがぎっしり詰まった玉手箱である。