就職情報誌を皮切りに、次々とマッチングメディアを立ち上げて成功したリクルート。1980年代後半、創業者の江副浩正氏は得意の絶頂にあった。しかし1988年、リクルート事件の大スキャンダルが発覚する。江副氏もリクルートも、運命が反転した。
シリーズ「イノベーターたちの日本企業史」ラインアップ
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社会全体を大きく揺るがせた「リクルート事件」
〈『リクルート』川崎市誘致時 助役が関連株取得〉
1988年6月18日、朝日新聞社会面にこの見出しの記事が掲載された。リクルート事件の幕開けだった。
朝日新聞の記事は、リクルートが川崎駅前にビルを建設する際、容積率アップの便宜を払ってもらうために上場前のリクルート・コスモス株を川崎市助役に贈与。上場後に助役は株を売却し、1億円の利益を得たというものだった。
これだけなら地方自治体における贈収賄事件に過ぎない。ところがこの後、続報が相次ぎ、リクルート・コスモス株は現職の竹下登首相や中曽根康弘前首相を含む与野党政治家、事務次官級の官僚、NTT社長などの経営者、日経新聞社社長ほかメディア関係者など、90名以上に譲渡されていたことが発覚した。
発覚当時はバブル経済がピークに向かう途上。株価は毎日のように最高値を更新しており、上場後はほぼ間違いなく公開価格を上回った。1987年に上場したNTT株は、売り出し価格119万7000円と高額だったが個人投資家の応募が殺到し、抽選倍率は6倍の人気だった。人気になるのも当然で、上場初値は160万円をつける。抽選に当たった人は一瞬で40万円儲けたことになる。
上場前の株を手に入れれば、濡れ手で粟(あわ)の利益を得ることができる。その株を政治家や官僚などの権力者が受け取っていたことで、資産を持たない国民は反発。ロッキード事件と並ぶ戦後最大級の疑獄事件となった。
この事件は収賄側では元官房長官や元事務次官が、贈賄側ではリクルート(現リクルートホールディングス)創業者で社長、会長を務めた江副浩正氏など、計12人が逮捕・起訴され、全員有罪が確定した。また竹下首相が辞任し、後任首相で臨んだ参院選では自民党が過半割れの大惨敗を喫するなど、社会全体が大きく揺らいだ。