マクドナルドの店舗(写真:Science photo Library/共同通信イメージズ)

 日本マクドナルドは1990年代に大きく成長し2001年に上場を果たすが、それを支えたのが、日本ファストフードの父・藤田田(ふじた・でん)氏の先見力だった。そしてこの先見力の陰りが、マクドナルドと藤田氏をどん底に突き落としていった。

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タフネゴシエーターとして知られていた“藤田商法”

 日本のファストフードをつくった男――日本マクドナルドの創業者・藤田田氏(1926-2004)の経営を支えていたのは、東大在学中に進駐軍のユダヤ人兵士から学んだユダヤ商法だった。

 その具体的な経営手法は藤田氏が書いた『ユダヤの商法』に詳しいが、ここから浮かび上がってくるのは、情実を排し、徹底して実利にこだわったリアリストとしての姿勢だ。目次を見れば一目瞭然。「父親は他人の始まり」「女房を信用するな」「一人合点して相手を信用してはならない」「儲けはイデオロギーを超越する」等々。家族であっても信用しないのだから、交渉事は安易に妥協しない。事実、藤田氏はタフネゴシエーターとして知られていた。

藤田田氏(撮影:横溝敦)

 例えば米マクドナルド本社に支払うロイヤリティ。海外ブランドを日本企業が国内で展開する場合、必ずロイヤリティが発生し、その金額は馬鹿にならない。例えばマクドナルドと同じ米国初の外食チェーン、ケンタッキーフライドチキンの場合、売上高の6%が米本社に支払われている。ところが藤田氏が米本社と交わした契約では、当初のロイヤリティはわずか1%にすぎない。

 この背景には、米本社の中興の祖でファウンダーと呼ばれるレイ・クロック氏が、米食文化の染みついた日本市場に懐疑的だったこともあるが、それ以上に藤田氏の交渉力が上回った結果だった。

 さらにすごいのは、日本マクドナルドの50%株主である藤田商店(藤田氏が創業)に対しても1%のロイヤリティを「経営指導料」として支払う契約になっていたことだ。つまり藤田商店は米マクドナルド本社と同じだけの「上がり」を受け取っていた。藤田氏にしてみれば、「日本でのビジネスのやり方を教えてやるのだから指導料をもらうのは当然」という理屈だ。

 この経営指導料は、2003年に藤田商店との提携が解消されるまで続いた。しかも最後は62億円もの違約金まで藤田商店は受け取っている。