初陣は13歳

 忠勝の幼少期についてはよくわかっていないが、幼名を「鍋之助」といい、のちに「平八郎」と称した。平八郎は、本多家当主の歴代の通称だという(『歴史読本 2007年3月号』下山治久「本多忠勝の全生涯」)。

 叔父の本多忠真とともに、忠勝は早くから家康に仕えたという。

 初陣は、13歳のときだと思われる。

 ドラマでも描かれたように、永禄3年(1560)5月、家康は桶狭間の合戦に際して、野村萬斎演じる今川義元から、大高城(愛知県名古屋市)への兵糧入れを命じられ、見事成功している。このとき忠勝も家康の軍勢に従軍しており、おそらくこれが、忠勝の初陣だとされる。

 

叔父・忠真に手柄を譲られるも拒否

 忠勝の勇猛さ、および負けん気の強さと、叔父の忠真との絆を感じさせる逸話が残っている。

 1561年、忠勝は忠真らとともに、今川勢と長沢城(愛知県豊川市)で戦った。

 そのとき、忠真は敵兵を突き倒すと、忠勝に「首をとれ」と促した。忠真は甥に、手柄を譲ろうとしたのだろう。

 ところが、忠勝は「人の力で借りて、功を立てても意味はない」とこれを拒否。敵陣に飛び込み、自分の力で敵を討ち取ってきた。

 忠真は甥の活躍を大いに喜び、家康に「忠勝は将来、必ず物の用にたちます」と言上したという(『新訂 寛政重修諸家譜』第11)。