広尾晃の野球ビジネスモデル考察 1〜 7 8 9 10 巨人人気に頼るセ・リーグの収益構造が歪めたドラフト制度、その象徴が巨人にNPBが屈した「江川事件」だった 【連載】広尾晃の野球ビジネスモデル考察(第8回) 2024.11.4(月) 広尾 晃 フォロー フォロー中 スポーツ シェア4 Tweet この写真の記事へ戻る 抽選で福大大濠高の柴田獅子の交渉権を獲得した日本ハム・新庄剛志監督(左)とソフトバンクの小久保裕紀監督=10月24日午後、東京都内のホテル(写真:共同通信社) 拡大画像表示 阪神に指名され考え込む田淵幸一(法大)。相思相愛だった巨人よりも指名順位が早かった阪神により指名に悩んだが、最終的に阪神入りを決断した。=1968年11月12日、東京・目白の自宅(写真:共同通信社) 拡大画像表示 1978年11月21日、プロ野球ドラフト会議の前日、巨人が江川卓投手との契約を発表。野球協約上の盲点「空白の一日」を突いた強攻策に世論の批判が集中した。セ・リーグでは契約を無効とし、曲折の末、ドラフト会議で交渉権を得た阪神に一旦入団させ小林繁投手とトレードする形で巨人に入った(写真:共同通信社) 拡大画像表示 1979年1月31日、キャンプ地の宮崎に向かうため羽田空港に到着した小林繁は、読売ジャイアンツの球団職員にハイヤーで東京・紀尾井町のホテルニューオータニに連れていかれ、そこで球団社長の長谷川実雄と長時間の話し合いを経て、江川卓とのトレードで阪神に行くことを決めた。写真は話し合いを終えホテルを出る小林=東京・紀尾井町のホテルニューオータニ(写真:共同通信社) 拡大画像表示 2010年1月17日、日本ハム投手コーチを務めていた小林繁が急死した。写真は同日夜、記者会見でうつむく江川卓。「江川事件」を巡って因縁のあった2人だが、後年になって和解し、一緒に酒造メーカーのCMに出演した(写真:共同通信社) 拡大画像表示 『データ・ボール――アナリストは野球をどう変えたのか』(広尾晃著、新潮新書)