北条氏勢力圏の最前線、戦国時代初期の痕跡が残る「消えた城」中曽根城の輪郭
中曽根城 撮影/西股 総生(以下同)
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写真1:石浜城推定地とされる荒川区南千住3丁目の石浜神社(荒川の土手上から見たところ)
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写真2:尾竹橋通りに面して石碑がある。画面中央の道は実は堀跡
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写真3:中曽根神社の境内に立つ小さな石碑が500年前の城の存在をわずかに伝えている
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写真4:城域を貫通する尾竹橋通り。コンビニの裏あたりが中曽根神社=中曽根城の中心部
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写真5:境内の裏手(北側)にある細い路地は主郭(本丸)の堀跡のようだ
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写真6:中曽根神社から西に150メートルの地点。御獄神社と幼稚園の前を抜ける道が城域西限の堀跡らしい
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写真7:台東区清川1丁目の石浜公園・石浜小学校付近も石浜城推定地の一つ。石浜城は所在すらわからなくなってしまった
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写真8:写真2の道から尾竹橋通りを渡って東北東に120メートルほど歩いて右に入ると尾竹橋通りに戻ってくる。これで中曽根城の外周をたどったことになる
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北条氏勢力圏の最前線、戦国時代初期の痕跡が残る「消えた城」中曽根城の輪郭
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