戦後75年・蘇る満洲国(8)悪魔の誘惑と七三一部隊 【写真特集】消滅国家、満洲国の痕跡を求めて 2020.9.22(火) 船尾 修 フォロー フォロー中 中国 歴史 シェア0 Tweet この写真の記事へ戻る ハルビンの南郊、平房に残る満洲第七三一部隊の跡地で、ひときわ目を引くのがこのボイラー室。本館や住居などへスチーム暖房を提供する他、実験室では24時間体制で細菌培養を行っていたため、そのためのボイラー室も巨大であった。最盛期には3500名の人員を抱えていた七三一部隊がいかに巨大な施設であったのかを物語っている。ソ連が侵攻してきた報に接し、証拠隠滅を計るため施設は爆破されたが、このボイラー室は完全に崩壊することなく残された。 拡大画像表示 七三一部隊の本部建物。屋根や外壁は爆破されて吹き飛んでいたが、戦後に復旧された。現在は「侵華日軍第七三一部隊罪証陳列館」としてこの本部建物も含めて一般公開されている。本部には総務部が置かれ、この他の建物には第1部(細菌研究)、第2部(実戦研究)、第3部(濾水器製造)、第4部(細菌製造)、教育部(隊員教育)、資材部(実験用資材)、診療部(附属病院)が置かれていたことがわかっている。 拡大画像表示 本部棟の2階に隊長室があった。現在公開されているこの部屋は戦後に復旧されているため実際にこのような家具の配置だったのかは不明だ。七三一部隊の隊長として、1942年8月から1945年3月までは北野政次が務めた他は、設立者でもある石井四郎が務めた。このため「石井部隊」あるいは石井の出身地の名前を取って「加茂部隊」と呼ばれていた。石井は部隊を創設するにあたって、「医学研究において内地ではできないことがある」と語っていたが、その「内地ではできないこと」が細菌兵器の開発であり、実証するための生体実験であった。 拡大画像表示 本部棟の裏側に実験棟などがあり、生体実験に使われた「マルタ」もここに収容されていた。マルタが収容されていたのは第4部の実験棟であり、マルタをぐるりと取り囲む形で「ロ」の字型に研究室が配置されていたことから「ロ号棟」と呼ばれた。ソ連侵攻時に軍はこの建物を重点的に爆破・破壊して逃走したため、建物は残っていないが、基礎部分が残っており、中国政府は七三一部隊の全容を明らかにするため現在も発掘作業が続けられている。 拡大画像表示 七三一部隊の施設が完成した直後に空撮された写真。手前にあるのがボイラー室で、煙突が3本立っているのが見える。それと比較しても中央にある「ロ号棟」の巨大さが際立っているのがわかるだろう。100棟近くの建物が東京ドーム9個分の敷地内に建てられていた。これらの建築物はわずかの期間で完成しており、その規模からして施工者は日本の大手ゼネコンと考えられるが、どの社の社史にも七三一部隊建設のことは出てこない。部隊の性格上、マル秘中のマル秘だったのだろう。 拡大画像表示 実験用のネズミやノミの飼育棟。七三一部隊ではペスト、コレラ、炭疽菌、腸チフスなど25種類ほどの細菌を扱っていたといわれている。このうちペスト菌はネズミやノミを媒介して人間に感染するため、生物兵器として開発するためにはペスト菌に冒されたノミなどを大量に培養する必要があった。これら感染ノミを陶器製の筒型爆弾に入れ、これを上空から落とし破裂させて無差別に感染させるという武器である。 拡大画像表示 凍傷実験棟。ハルビン郊外につくられた七三一部隊は緯度が高いこともあり、冬にはマイナス30度以下になる日も珍しくない。マルタはこの実験室に連れてこられると、足や手を容器に満たした水に漬けられる。そうするとものの数分で氷漬けとなる。金属棒で叩いて足や手がカンカンと音がするまで凍らせて、その後に壊疽していく細胞を観察した。 拡大画像表示 七三一部隊では細菌兵器だけではなく、化学兵器の開発や実験も行われていた。この円形状の建物は毒ガス貯蔵庫で、内部は3層になっている。直径約14メートル、地下約10メートル。イペリット、ホスゲンなどのマスタードガス、青酸ガス、一酸化炭素ガスなどが貯蔵されていたと見られている。 拡大画像表示 敷地内には鉄道の引き込み線もあり、現在でもそれは残っている。終戦の年の8月9日にソ連軍が日ソ中立条約を破って満洲に侵入してきたとき、関東軍は一戦を交えるわけでもなく民間人を保護するわけでもなく一番先に逃げ出した。七三一部隊も同様であり、早くも11日には一番列車を仕立てて日本へ向けて逃走を開始した。敷地内にあった建物は爆破されまた数十名のマルタは殺害され、証拠隠滅が計られるが、逃げ遅れた部隊員はソ連の捕虜となり、戦後のハバロフスク裁判で訴追されることになった。 拡大画像表示 侵華日軍第七三一部隊罪証陳列館に一歩足を踏み入れると、このように数か国語で大書きされた看板に迎えられる。日本人としては思わず足がすくんでしまう。館内には、これでもか、これでもかというくらい日本が行った残虐行為の数々が、写真やジオラマを駆使して展示されている。これほどのアウェー感を否が応にも受ける場所は世界広しといえどもここぐらいだろう。中国政府はこの七三一部隊跡を世界遺産として登録する準備を行っている。 拡大画像表示