戦後75年・蘇る満洲国(7) 大連は夢の都だったのか

【写真特集】消滅国家、満洲国の痕跡を求めて
2020.9.15(火) 船尾 修 follow フォロー help フォロー中
中国歴史
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1937年(昭和12年)に竣工した三越百貨店大連支店は大連駅からも近い連鎖街とは道路を挟んだ向かい側の旧常磐町にある。三越はよく知られているように日本の百貨店の元祖。5階建てで4階はレストランになっていた。戦後はソ連軍に接収された後に大連市に返還され、ロシア系の百貨店である秋林(チューリン)女店として使われたが、2016年にZARAという店舗に変わった。
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1930年(昭和5年)に開業した連鎖商店街は当時としては最もモダンなショッピング・センターであった。3階建ての瀟洒な建物が16棟、連結されるように商店街を構成している。1階が商店や店舗で、2階と3階が住居として使われた。劇場や喫茶店、レストラン、公衆浴場など200店舗が連なっていた。円生と志ん生が興行した映画館と劇場を兼ねた常盤座もこのなかにある。私はその建物の内部を見学させてもらったことがあるが、「昭和」を想起させる美しいタイルが細かく貼られた大きな柱が残っていた。連鎖街の多くは現在、奇跡的にほとんどの建物が残存しており実際に商店として使われているが、老朽化が進んでいるため近い将来に取り壊されるという噂である。
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真宗大谷派(東本願寺系)は他の仏教教団と同じく1904年(明治37年)の日露戦争において初めて満洲へ従軍布教使を送った。1910年(明治43年)には僧侶の新田神量を大連に派遣し、別院創立事務所を開設させた。この東本願寺大連別院は1930年(昭和5年)ごろに竣工したと思われる。満洲に進出した仏教教団の多くは満洲国が建国されて以降、積極的に国策に協力する姿勢を取った。3階建てのこの建物は現在、大連京劇院として使用されている。
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大連中学校は1918年(大正7年)に関東州で2番目の中学校として開校した。その後、大連第一中学校となる。芥川賞作家の清岡卓行は同校の出身。他に芸術関係の卒業生として、五味川純平や山田洋二らがいる。大連中学校が建てられた旧・伏見台一帯は文教地区として教育機関が集中していたところで、他に大連羽衣高等女学校、南満州工業専門学校、伏見台尋常小学校などがあり、それらの建物の多くは現在も残存している。
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大連南郊の老虎灘は断崖が続く海岸の景勝地である。海を見下ろすその高台の一角に、名古屋城を彷彿とさせる木造の日本建築がある。屋根には「しゃちほこ」が載っている。当時、一方亭と呼ばれた高級料亭で、満洲国建国の1932年(昭和7年)に建てられた。村上もとか作の『龍 RON』は戦前を舞台にした人気漫画だが、主人公の龍の叔母・小鈴が経営する料亭で甘粕正彦らが密談するシーンがあり、一方亭をイメージしたものと考えられている。
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かつて大連の逢坂町と呼ばれていた場所に遊郭があった。戦前の1930年(昭和5年)に発行された『全国遊郭案内』によると、「大連市逢坂町遊廓、明冶四十年に料理店の名目で始まる。店は七十軒もあり芸娼妓九百人の内二枚鑑札が四百人、娼妓は五百人、娼妓内朝鮮人は百五十人で日本人娼妓は九州、四国の女が多い。」と記されている。満洲へ渡る日本人は男性のほうが圧倒的に多かったため遊郭などの花街も当然必要とされたのだろう。現在も狭い通り沿いに当時の建物が残っており、集合住宅として使用されている。
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1912年(大正元年)に建立された聖徳太子堂は現在の中山公園内にある。日本には、大工や左官、建具屋、畳屋、石工などの職人が聖徳太子を祀る「太子講」というものがあり、江戸時代には特に盛んに行われた。仏教を保護した聖徳太子は法隆寺などの寺院を建立する際に職人を大事にしたといわれており、その故事にちなむ行事として現代にも継承されているのである。関東州が日本の租借地になって以降、建設ブームに沸く中心都市の大連にはたくさんの職工たちが押し寄せ、太子講という信仰もそれに伴って持ち込まれることになった。
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1936年(昭和11年)に竣工した大連放送局(JQAK)の社屋は美しい曲線に彩られたアールデコ調の建築であった。放送局自体は1925年(大正14年)に開設されたが、満洲電電が設立されてからは飛躍的に視聴者も増えていった。現在もここには大連広播電視中心という放送局が置かれているが、本社ビルは新しく建設された高層ビルのほうに移っている。
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三越の大連進出は早く、社史によると1910年(明治43年)にはすでに三越呉服店が大連出張所を構えている。現在のような3階建ての建物が完成したのは1927年(昭和2年)になってから。設計者は中村與資平と弟子の宗像主一。施工は清水組。三越呉服店はその後、1937年(昭和12年)に大連駅近くの連鎖商店街の前に三越百貨店大連支店ができた際に、そこに統合された。現在は、大連銀行中山支行として使われている。
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大連在住の日本人の氏神として、南山の北麓に1907年(明治40年)大連神社が創建された。祭神は天照皇大神や大国主命などである。後に日清日露戦争時の戦没者も合祀したため、「外地の靖国神社」としても機能した。終戦時にはここにもソ連兵が侵攻してきたが、神職らが機転を利かせて雅楽などを披露するとソ連軍の間で評判となり破壊は免れたという。1947年(昭和22年)に水野久直宮司が御神体と宝剣を隠して日本へ帰国、福岡市の筥崎宮に仮安置された後、水野宮司が赴任した山口県下関市の赤間神宮境内に御神体を運び、境内社として大連神社を祀ることになった。大連にあった本殿は取り壊され、現在は跡地に解放小学校が建っている。
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