薄汚い力士が一転、粋な博徒に
明治座十一月花形歌舞伎『一本刀土俵入』(11月2日~26日※休演・貸切日あり)の物語の舞台は、水戸街道の旅籠茶屋。一文無しで江戸に向かう下っ端力士・駒形茂兵衛の身の上に同情した酌婦のお蔦は、有り金をはたいて持たせてやる。十年後、横綱の夢破れて博徒となった茂兵衛が、お蔦を探し出し、窮地を救って恩返しするという物語だ。
人情の機微を描く達人、長谷川伸の代表作で、昭和6年(1931)6月号の「中央公論」で発表され、同年7月に初演された。
「ボーっとした薄汚い力士だったのに、十年後の場面ではキリっと粋な博徒となって出てくる変身が“ギャップ萌え“。このいい男ぶりだけでも、”一本刀”を観る価値ありなんですが」
役者たちがいろいろ工夫を重ねてきたことで、古典歌舞伎と違う良さがあると田代さんはいう。
初演時に茂兵衛役をつとめたのは、六代目尾上菊五郎(1885~1949)。当時、真砂石という不愛想で変人の力士がいたが、菊五郎はこの真砂石をひいきにして自宅に寝泊まりさせていた。
菊五郎は、「ウエイ」「有難うごわす」といったせりふ回しなどはもちろん、芝居で出てくる頭突きも、庭で菊五郎の弟子たちと相撲を取っていたときの真砂石を写したと語っている。
その後、新国劇で上演されることになり、演じることになった中村翫右衛門(1901~1982)は、名優・菊五郎をおとずれる。「あなたのようにはできませんから、教えて頂いて、曲がりなりにもできると思ったところだけさせていただけますでしょうか」と頼んだのに対して、菊五郎が、どうぞやりたいように変えて演じてくれたらいいと言って、すぐその場で教え始めたという逸話も残っている。
「古典となって演出も定まっているような演目ではなかなか変えることができないし、先輩に教えてもらったら、とにかく教わった通りに、やる通りにやるのが不文律。ところがこの『一本刀』は、他の歌舞伎役者や新国劇、映画など、作り手それぞれに自分なりの工夫が重ねられてきているんです」
親指の曲げ方から茶髪まで
十年後に戻ってきた茂兵衛のお蔦への挨拶では、博打打がするように親指を掌の中に折り曲げている。力士の時は「ねえさん」博徒の時には「あねさん」と呼ぶ。お蔦の首のお白粉の塗り方や肩で障子を開けること……etc.
「私は、中村勘三郎(1955~2012)の演じた力士時代の茂兵衛の髪が赤茶けているので『歌舞伎なのに茶髪?』と思ったことがあります。栄養不足だからとそういうかつらにしたんでしょうね。十年後に博徒となって戻ってくる場面では、ちゃんと黒髪でした。そういうディテールが積み重ねられてきたわけです」
真田広之は「SHOGUN 将軍」でエミー賞を受賞し、時代劇を支えてきてくれた先人たちへの感謝を口にした。『一本刀土俵入』も、まさにそうした人々の苦心が結実してきた演目といえるだろう。
「新歌舞伎だから、せりふが口語で現代人にもわかりやすい。だからと言って、それぞれのせりふにしても人物造形にしても薄っぺらくはないのが長谷川伸のすごいところです」
父なし子を産んで育てているお蔦は、ただの蓮っ葉な酌婦ではない。博徒になった茂兵衛を単にかっこいいとするのではなく、描かれているのはやくざ者の哀しさだ。
古典びいきの田代さんも、この『一本刀土俵入』は、後世まで続いていく演目だろうという。
「主君のためにわが子の首を落とすような古典歌舞伎には、“ハテ?”となることもあるけれど、この茂兵衛とお蔦にはしっかり共感させられる。字幕をつけてディズニープラスで配信しても受け入れられるかもしれません」
今回、駒形茂兵衛とお蔦を演じるのは、中村勘九郎(42歳)、中村七之助(41歳)の兄弟で、初演で茂兵衛を演じた六代目菊五郎のひ孫にあたる。勘九郎は、祖父の十七代目中村勘三郎(1909~1988)、父の十八代目中村勘三郎が何度も演じた茂兵衛を演じ続けていくことになるだろう。