仏教寺院でもあった名残

エジソン記念碑 写真=GYRO_PHOTOGRAPHY/イメージマート

 お参りを終えたら、境内を出て参道を進む。すると右手に開けた場所があり、その一角にエジソン記念碑がある。発明王のトーマス・エジソンは、白熱電球を作る際、動物の爪や植物の繊維などさまざまな自然物を使ってフィラメントを試作した。その結果、日本産の竹を使うとより長く電球が灯ることを発見。男山周辺に自生する竹がもっとも良質ということで、フィラメントの材料として輸出されるようになった。以来10年間ほど、こちらの竹が世界の電球を灯し続けたのである。

 山上で心ゆくまで時を過ごしたら、そろそろ下界に戻ろう。むろんケーブルでも降りられるが、ここは徒歩での下山を勧める。もっともゆるやかな表参道、少し急な裏参道、七曲りというきつい坂を含む道もあるので、体力と時間に合わせて選ぶとよい。

 降りきったところに二の鳥居があり、その先に頓宮殿と呼ばれる下院がある。こちらは神輿が待機する場所で、他の神社では「御旅所」と呼ばれる場所に相当する。ここの社殿は幕末の鳥羽伏見の戦いで焼け落ち、男山四十八坊の一つ「岩本坊」の神殿を移築して仮宮としていた。

頓宮殿 写真=ogurisu/イメージマート

 現在の社殿は1915年(大正4年)に新たに造営されたものであるが、ここではその「岩本坊」という名に注目したい。坊とは寺の子院のこと。八幡信仰は古くより神仏混淆の色合いが強く、石清水八幡宮は仏教寺院でもあった。そのためこの男山の各所にはかつての子院の名残も数多くあり、山を下りながらそれらを探すこともできる。

 頓宮殿からもと来た石清水八幡宮駅までは歩いてすぐだが、まだ帰るのは早い。実はさらなるとっておきの場所がある。ここからバスで15分ほど行ったところにある松花堂庭園だ。こちらは国指定の名勝で、四季の花々や紅葉が美しく、茶室などの趣き深い建物が点在している。そのような素晴らしい庭園なのに、こちらも観光客が押し寄せるようなことはなく、心静かに時を過ごせる。

松花堂庭園 写真=ogurisu/イメージマート

 そしてさらにうれしいことに、ここにはかの名店、京都吉兆の支店もある。この店の名物は元祖松花堂弁当で、その始まりは、今から400年ほど前に遡る。

 そのころ石清水八幡宮に、松花堂昭乗という社僧がいた。この人は書画、茶道などに通じた文化人でもあり、その晩年に隠居所としていた『松花堂』という方丈がこの地にあった。当時は庶民的で簡素な実用品を茶道具などとして用いるのが粋な趣味とされており、松花堂昭乗も、地元の農家で使われていた種を入れるための箱を絵具箱や煙草入れとして愛用していたという。それは十字に仕切りがついた四角い箱だった。

 昭和初期になって、吉兆の創始者がこの箱に着目し、仕切られた箱の中に美しく料理を詰める茶懐石弁当を考案した。それが今も愛され続ける松花堂弁当の起源である。こちらでは美しい庭園を眺めながら、名店のエッセンスを散りばめたその由緒深いお弁当をいただけるのだ。しかも本店の懐石料理よりずっとお手頃な値段で。これぞ、誰にも教えたくない大穴場情報である。