バブル崩壊後に「運」があった

「日本現代美術私観:高橋龍太郎コレクション」展示風景。奈良美智《Untitled》1999年

 続いて「運」について。高橋は「これに関しては時が味方してくれました」と話す。

 高橋が本格的にコレクションを築き始めたのは1990年代半ばのこと。バブル経済が崩壊し、日本は“失われた30年”に突入。作品を売買するだけで値が跳ね上がる時代は終わり、多くの金持ちはアートへの興味を失った。

 だが、停滞する日本社会に抗うように新しい表現を模索する若いアーティストが台頭。日本の現代アートはサブカルチャーを基盤に独特の進化を遂げ始めた。「私のコレクションは、この時期と全く軌を一にしています。この時代のアートが評価されることになれば、私のコレクションの価値も高まる。結果として、運があったということになります」。

 

投資としてのアートには興味がない

「日本現代美術私観:高橋龍太郎コレクション」展示風景。右から、合田佐和子《グレタ・ガルボ》1975年、合田佐和子《ルー・リード》1977年、合田佐和子《ジョン・クロフォード 1931》1975年

 最後に「お金」について。高橋コレクションは現在3500点を超えている。作品の入手に相当な資金が必要だったことは想像できるが、高橋は資産家の家に生まれたわけではない。

 高橋龍太郎は1946年、敗戦の翌年に山形県で生まれた。全共闘運動に身を投じ、慶應義塾大学医学部を退学。映像作家を目指したが自身の才能に限界を感じ、再び医学の道へ。精神科医として地域医療に邁進するようになった。

「映像作家を目指した時期もあり、アートには関心が高かった。最初に買った作品は合田佐和子《グレタ・ガルボ》。飯倉の青画廊で、5~6万円くらい。当時の私にとっては大金で、すぐに次を買うというわけにはいかなかった。その後、1990年に精神科クリニックを開業し、待合室に飾る絵を求めたのがコレクションの始まり。最初は値段が手頃なリトグラフが中心で、次にセカンダリーのギャラリーへ通うように。1997年から会田誠や草間彌生の新作展で作品を購入するようになり、コレクションが本格化していきました」

 髙橋は自身のことを「あまり金持ちとは言えない」と笑う。「気に入った作品を、情熱的に集めてきただけ。最近の日本で言われる投資としてのアートには興味がないんですよ」。