見逃せない3つのポイント
キリスト教に改宗したアステカ人たちは、修道院をいろどる彫刻や壁画をみずから手がけるようになります。ヨーロッパ美術に触れたことのない先住民は、見本を手にさまざまな技術を身に付けますが、装飾には土着文化の香りが色濃くとけ込んだのです。
そうしてヨーロッパを父とし、アステカを母とする、メキシコ文化が育まれました。
14の修道院には、その生々しい〈始まりの痕跡〉が残されています。神は細部に宿るの格言のごとく、見逃せないポイントを3つ紹介しましょう。
1.クエルナバカ修道院のフレスコ画
礼拝堂の壁を修復するために、後に上塗りされた漆喰をはがすと、あらわれたのは「TAYCOSAMA」の文字……そう「太閤さま」です。豊臣秀吉の命により長崎で磔になった日本二十六聖人の殉教が、17世紀すでにメキシコで描かれていました。
牛車で引き回し、十字架にしばられ、槍で刺された聖人たち。壁をぐるりと埋めつくす殉教図は、赤・緑・茶などのヘタウマな絵で、どこか浮世離れしています。
2.オクイトゥコ修道院の噴水
スペインのアルハンブラ宮殿を代表する「ライオンの中庭」が、修道院の回廊がめぐる中庭に先住民の手で真似されました。中央の噴水のまわりに6頭のライオン。でも、ライオンを見たことがない先住民は、得体のしれない怪物(聖獣?)みたいな巻き毛のライオンを彫ります。似せても違ってしまう、ふしぎな面白さが満点です。
3.トチミルコ修道院への水道橋
宣教師たちは広場にのぞむ修道院を中心に、城壁をもたない開放された街をつくりました。それは誰にも開かれ、先住民と共生するユートピアを夢見てのことでした。ポポカテペトル山麓の泉から水を引くための、古代ローマ帝国をしのばせる巨大な水道橋が残されています。子供たちは、広場の水飲み場であそび、修道院で読み書きを習ったのです。