輔子への想いを作品に綴る
やがて東京に戻った藤村は、どうしても忘れられないと知人に頼んで輔子を呼び出してもらいました。しかし輔子を目の前にすると「いや、あの、あの……あの〜」と口籠もるばかりで、自分の想いを伝えることができなかったそうです。
輔子は「先生をお慕いしていますが、すでに親が定めた許婚者がいるので悩んでいます」と打ち明けます。すると藤村は「よい人だそうですね。私も一度お目にかかりたい」と言い、輔子は「会ってごらんなすったらよいでしょう」と返したのだそうです。
思わず「がんばれよ! 藤村!」と叫びたくなります。
せっかく相手も自分を想ってくれていたことがわかったのに、その気持ちに何もできないことを恥じた藤村は、再び旅に出るのです。
今度は東北に向かい、輔子が少女時代を過ごした一関を訪ねて、さらに輔子への想いを強くしたのでした。
失恋をすると旅、そうして心の傷を癒やすことって、昔も今も、みんな一緒ですね。
ひとり旅は、失ったものを結晶化させる力があるのです。
さて、明治28年5月、輔子は結婚しますが、3か月後の8月に札幌の病院で亡くなってしまいます。
藤村の小説『春』には輔子の姉が輔子の親友に宛てた、次のような手紙が引用されています。
妊娠のため——ツワリとかが烈しく、自然に体の弱りしため心臓病を引起せしとのことに有之(これあり)、それに神経の鋭敏なるためむつかしきよし申され候。
島崎藤村『春』(新潮文庫)
輔子は結婚したのちも藤村の写真を大事に持っていたそうです。また、藤村への想いを記した明治25年(1892)9月から12月末までの日記が、木曽馬籠の藤村記念館には保管されています。藤村はこの日記を読まないまま、昭和18年(1943)8月22日に亡くなっています。
輔子の死後、藤村は文学者の道を歩み始め、その詩や文学に輔子への想いが深く綴られています。
藤村の文学者としての成功は輔子との悲恋が礎になっているのかもしれません。