詩集『若菜集』で浪漫主義詩人として人気を博し、その後『破戒』で自然主義文学の作家としての地位を確立した島崎藤村。その礎となったのは、小説『桜の実の熟する時』で描かれた、教え子への秘めた恋心だったのかもしれません。

文=山口 謠司 取材協力=春燈社(小西眞由美)

神奈川県大磯町にある島崎藤村の自宅跡 写真=tamu1500/イメージマート

姪との不倫事件でフランスへ逃亡

『若菜集』を刊行した2年後の明治32年(1899) 4月、小諸義塾の教師となった藤村は秦冬子という女性と結婚します。7人の子をもうけますが、1905年に三女、その翌年には次女、長女を失い、妻の冬子も1910年、四女を出産する際に死んでしまいます。

 そして兄の娘、つまり藤村にとって姪にあたるこま子が家事手伝いとしてやってくるのです。藤村はなんと、親子ほども年齢差のあるこま子と関係を持ち、妊娠させてしまいます。さらにこの現実に耐えかねてひとりでフランスへ逃げてしまうのです。

 大正2年(1913)に渡仏し、渡仏中に書いたのが、自伝的小説『桜の実の熟する時』(雑誌『文章世界』1914〜15年に連載)でした。

 

思わず彼は拾い上げた桜の実を嗅(か)いで見て、お伽話(とぎばなし)の情調を味(あじわ)った。

それを若い日の幸福のしるしという風に想像して見た。

   島崎藤村『桜の実の熟する時』巻頭言(新潮文庫)

 

 新潮文庫はこの作品を「『春』の序曲をなす、傑れた青春文学である。」と宣伝しています。『春』は明治41年(1908)に東京朝日新聞に連載したのち自費出版した作品で、自身や北村透谷、平田禿木といった雑誌『文学界』創刊当時の同人をモデルにした初の自伝的小説です。

『桜の実の熟する時』は果たしてほんとうに傑れた青春文学だったのでしょうか? 藤村はさらに冒頭で、得意の上から目線で、若い人に勧めたいと豪語していますが……。

 

これは自分の著作の中で、年若き読者に勧めて見たいと思うものの一つだ。私は浅草新片町(しんかたまち)にあった家の方でこれを起稿し、巴里(パリ)ポオル・ロワイアル並木街の客舎へも持って行って書き、仏国中部リモオジュの客舎でも書き、その後帰国してこの稿を完成した。この書は私に取って長い旅の記念だ。

島崎藤村『桜の実の熟する時』(新潮文庫)

 

 前編で少し触れたように、『桜の実の熟する時』は岸本捨吉という主人公が年上の女性・繁子との交際に破れ、その後、教鞭をとっていた女学校で出会った勝子という教え子との恋愛にも挫折するという物語です。小説は捨吉が関西に向かって旅に出たところで終わっていますが、現実はこれで終わりではありませんでした。