傷心の藤村、年上の女性との愛欲にまみれる

 明治21年(1888)、17歳の藤村は共立学校時代の恩師・木村熊二というプロテスタントの牧師の影響で木村から洗礼を受け、キリスト教徒となります。そして明治25年(1892)、木村が創設した明治女学校の校長・巌本善治が発行していた雑誌の手伝いをしていたことから、巌本から明治女学校の授業を持つように言われます。藤村はこの時20歳でした。女学校で『桜の実の熟する時』の鉄子のモデルである佐藤輔子と出会った藤村は、彼女への恋心を募らせます。

 藤村の輔子への気持ちは周囲の知るところとなりますが、藤村には、輔子に愛を告白する勇気がなく、『桜の実の熟する時』に書かれているように、突然休職して旅に出てしまいます。

 この時、のちに作家となる同僚・星野天知から、旅先で困ることがあったら神戸にいる広瀬恒子という女性を訪ねれば良い、と言って紹介状を受け取ります。星野天知は『桜の実の熟する時』に登場する教師仲間の岡見のモデル、恒子は『桜の実の熟する時』と『春』に登場する「峰子」のモデルとなった女性です。

 恒子はもともと明治女学校の生徒で、卒業後はそこで教鞭をとっていました。同僚だった星野と深い関係になりますが、星野が恒子を鬱陶しく思ったことから神戸の実家に戻ることになったのです。

 恒子を訪ねた藤村は、そこにしばらく滞在します。その間にふたりは肉体関係を持ち、神戸滞在中、藤村は恒子との愛欲にまみれたのでした。

 藤村はある日、恒子に自分には輔子という好きな女性がいると告白します。輔子は教師時代の恒子の教え子でした。そして恒子は輔子に、自分は藤村と深い関係になったと書いた手紙を送るという、ちょっと怖い女性でした。