特別な2つの神事

美保神社 鳥居 写真=GYRO_PHOTOGRAPHY/イメージマート

 さて、では実際にお参りしてみよう。車が便利だが、JR松江駅やJR境港駅からバスを乗り継いでも行ける。バスを降りると、どことなく懐かしい港の風景が広がる。鳥居をくぐって石段を登り、さらに神門をくぐると正面に拝殿がある。

美保神社 拝殿 写真=フォトライブラリー

 昭和3年、築地本願寺などでも知られる建築家、伊東忠太氏の設計によって造営された。船底を模した独特の形で壁や天井板がなく、梁がむき出しの構造である。周囲が山に囲まれていることもあって、この構造が優れた音響効果をもたらす。これは御祭神が歌舞音曲を好むとされることに由来し、年間を通して音楽の奉納が多い。

 また、各地からさまざまな楽器類も奉納され、このうち846点が国の重要有形民俗文化財に指定されている。わたしが訪れた際も巫女さんによる舞が奉納されおり、音曲がことのほかよく響いていた。それにより境内全体が神々しさに包まれ、別世界に招かれたかような感覚にとらわれたものである。

手前が拝殿、奥が本殿 写真=フォトライブラリー

 その奥に本殿。大社造の二つの社を「装束の間」と呼ばれる空間で繋いだ特殊な形式で、美保造、または、比翼大社造と呼ばれる。1813年に再建されたもので、国指定の重要文化財に指定された風格ある建物だ。向かって右側の社には三穂津姫命、左の社に事代主神が祀られる。

 三穂津姫命は高天原の高皇産霊命の御姫神で大国主命の御后神。高天原から稲穂を持って降りて来られたことから、五穀豊穣の神として信仰される。また、夫婦和合、子孫繁栄、そして歌舞音曲の守護神とも。事代主神はこれまでも述べたようにえびす様として世に知られ、海上安全、大漁満足、歌舞音曲などの守護神である。

 この神社では、国譲り神話に関連する特別な神事が二つ伝わっている。ひとつは4月7日に行われる青垣神事。古事記によれば、事代主神は国譲りを受諾するとすぐ、自分が乗ってきた船をひっくり返して「青芝垣」(青葉で作った垣根)とし、その中に身を隠したという。その様子を再現したこの神事は、年に一度神霊を新たにする祭であり、豊作を祈るものとも言われる。

 もうひとつは12月3日に行われる諸手船神事。美保で釣りをしていた事代主神が、父大国主から国譲りに関する相談を受ける様子を儀礼化したものと言われる。これはもともと旧暦の11月に行われていたもので、稲の恵みに感謝する秋祭でもあったということだ。

青石畳通り 写真=フォトライブラリー

 時間が許せば、周辺の観光もしてみよう。まずは神社を出てすぐのところにある青石畳通り。ここは江戸時代から続く参詣道で、旅館や商店などの古い建物が並んでいる。えも言われぬ風情のあるところで、美保関史料館という施設もある。海運とお参りの町として繁栄した中世から近世の美保関の様子がわかる資料が展示されている。その先を少し山際に行くと、仏谷寺という寺院もある。重要文化財に指定された仏像が5体あり、往時はかなり大きな寺であったことがしのばれる。

 さらに時間があれば、岬の突端まで続くハイキングコースを歩くのもよい。沖に浮かぶ小島は「沖の御前」と呼ばれ、事代主神が釣りをしていた場所と伝わる。美保神社の飛地境内地で禁足地となっており、今でも海の底から雅楽が聞こえてくると言われる神秘的な場所だ。その先にある美保関灯台も見どころだ。高台にあるため眺めがよく、日本海方面は壱岐の島、美保湾方面は大山と、雄大な景観が楽しめる。

美保関灯台 写真=フォトライブラリー

 実際に行ってみてわかったことだが、美保関はなかなかに興味深い場所である。お参りだけなら松江から日帰りでもよいが、港の近くに旅館や民宿もいくつかあるので、宿泊してゆっくり散歩をしたり、事代主命に倣ってのんびり釣りでもしながら過ごすのもよさそうだ。いつか必ず、もう一度ここに来たい。神社巡りをしていると、そんな場所がどんどん増えて行く。