警察小説×本格ミステリーの合わせ技。シリーズ化に期待

『可燃物』
著者:米澤穂信
出版社:文藝春秋
発売日:2023年7月25日
価格:1,870円(税別)

【ストーリー概要】
 2023年ミステリーランキング3冠達成! (「このミステリーがすごい!」第1位、「ミステリが読みたい!」第1位、「週刊文春ミステリーベスト10」第1位)。

 群馬県警利根警察署に入った遭難の一報。現場となったスキー場に捜査員が赴くと、そこには頸動脈を刺され失血死した男性の遺体があった。犯人は一緒に遭難していた男とほぼ特定できるが、凶器が見つからない。その場所は崖の下で、しかも二人の周りの雪は踏み荒らされておらず、凶器を処分することは不可能だった。犯人は何を使って“刺殺”したのか?(「崖の下」)。

 太田市の住宅街で連続放火事件が発生した。県警葛班が捜査に当てられるが、容疑者を絞り込めないうちに、犯行がぴたりと止まってしまう。犯行の動機は何か? なぜ放火は止まったのか? 犯人の姿が像を結ばず捜査は行き詰まるかに見えたが――(「可燃物」)。

 連続放火事件の“見えざる共通項”を探り出す表題作を始め、葛警部の鮮やかな推理が光る5編。

 

『可燃物』は、週刊文春の年末恒例企画「ミステリーベストテン」で、2023年の国内第1位になった本格ミステリー短編集。著者の米澤穂信氏は2022年、『黒牢城(こくろうじょう)』で2021年下半期の直木賞を受賞した。

『黒牢城』はこんな話である。「本能寺の変」の4年前、織田信長に反旗を翻して有岡城に立て籠もった荒木村重は、説得に訪れた織田方の智将・黒田官兵衛を戻さず、地下牢の囚人とする。折しも有岡城内で起きる不可解な難事件。手こずった荒木は、地下牢を訪れては官兵衛に謎解きをさせる。

 歴史の妙と、城内に閉じ込められた者達の心理に分け入る推理の彩(あや)。合わせ技の重厚な作で、選考委員である北方謙三氏の選評が、本格ミステリーにそれほど馴染みがない読者の気持ちを代弁して笑わせた。曰く——官兵衛の役割が(映画『羊たちの沈黙』に登場する)レクター博士のようだ、籠城戦と密室の謎解きの組み合わせにどういう必然性があるのか分からなかったが、面白ければいい——。

 この『可燃物』も警察小説×本格ミステリーの合わせ技で、群馬県警本部・刑事部捜査第一課の葛(かつら)警部が五つの事件の謎を解く。

 バックカントリースノーボード中に仲間が仲間をなにか鋭いもので刺殺した事件の凶器とは(「崖の下」)。 見つけて下さいと言わんばかりの場所に遺棄された右上腕。犯人はなぜ死体をばらばらにしたのか(「命の恩」)。住宅街で発生した連続放火事件。その捜査が始まったとたん、ぴたりと犯行が止まったのはなぜなのか(表題作「可燃物」)。

 例えば「崖の下」の現場検証で描写される、凶悪な形状の氷柱(つらら)。氷が時間の経過と共に消滅する犯行道具だというのは、中学まで海外の本格ミステリーに入れ込んでいた私には、著者の撒いた“レッド・ヘリング(鰊の強烈な臭気に猟犬の鼻が惑わされること)だな”と察せられるが、それ以上のことは分からない。

 この、読者がある程度まで推理できるが、真相に辿り着ける人は少数というのが、本書の魅力だろう。葛警部を探偵役とする本作は、今後シリーズ化されそうだ。

 小腹が空いたらカフェオレと菓子パンでエネルギー補給し、部下達に慕われているわけではないが、捜査能力に疑いを持つ者はいない葛警部。一読者としては、愛していいのか、愛なんて余計な感情移入はしないほうがいいのか、今のところ判断の付きかねるキャラクターだ。

 葛警部の下の名前が明らかにされていないのも気になる。私が愛した警官に、英国のモース警部がいる。勤務中でも部下を引っ張ってパブに行きたがるような警官だ。「E」だけで通していた彼のファーストネームが明らかになったのは、重篤な病で横たわるベッドに、病院がかけたネームタグで、だった。

 モースのファーストネーム判明は、当時(=20世紀末)BBCの一般ニュースにもなったという。私はシリーズ13冊目まで明かされなかったファーストネームの由来のあまりの素っ頓狂さに大笑いし、シリーズ最終巻という最期に泣いた。

 2023年から2024年へと流れていく時間。みなさま、読書をしてもしなくても、どうぞよき年末年始をお過ごし下さいませ。

※「ストーリー概要」は出版社公式サイトより抜粋。