最初に「神のごとき」と賞賛したのは?
絵画における偉業であるヴァチカンのシスティーナ礼拝堂の天井画と壁画については次の回に譲るとして、ミケランジェロが確立した地位について紹介しましょう。ミケランジェロはそれまで一般に職人的存在とみなされていた芸術家の地位の確立し、ルネサンスの芸術家として最も成功しました。
相当な年金や報酬を得ていましたが、同性愛者だった彼は生涯独身で、質素な生活をしていました。服装や食事も無頓着で、いつも同じ服を着て寝る時も同じ靴を履いていたので、弟子たちが靴を脱がせようとすると、皮膚まではがれたという逸話も残っています。感情的で怒りっぽい性格のわりに人情家で弟子たちからも慕われていました。
彫刻を中心として、絵画でもシスティーナ礼拝堂の天井画や壁画という偉業を成し、また、建築でもサン・ピエトロ大聖堂のクーポラや、カンピドーリオ広場のプランを考えるなど、それぞれの分野においてすべて成果を上げています。さらに詩人としても、職人のような無骨な外見からはちょっと想像できないような、こんな詩を残しています。
「愛」
教えてくれ、愛よ、私に 渇望していた美しさが本当に現れたのか、
それとも私の中の期待への切望がつかの間の幻影を浮かび上がらせただけなのか?
お前は知っているのだろう? だってお前は、私の眠りを盗んで奪い去った、そうだろう!
私の唇は、どんな溜息もみのがさない、そして私の魂は消すことのできない炎で満ちている。(後略)
職人肌でいながらロマンチックな詩を作ったりするというギャップも、人間臭く、魅力的だと思います。
今日においてもよくミケランジェロは、「神のごときミケランジェロ」と賞賛されますが、この言葉を最初に用いたのはヴァザーリでした。ヴァザーリはヴァチカン宮殿の壁画やウフィツィ宮殿の建築を手掛けた画家であり建築家でしたが、国内をくまなく回って、初期ルネサンスの画家や彫刻家、建築家に関する膨大な資料を集めます。
そして1550年、芸術家たちの伝記的な逸話を交えながら、その生涯と作品についてまとめた『美術家列伝』を出版します。真偽のほどを疑われている箇所もありますが、今日でも美術史研究にとってたいへん貴重な資料になっているため、ヴァザーリは「美術史家の父」と呼ばれています。
ヴァザーリはフィレンツェでミケランジェロと接する機会もあり、ミケランジェロを芸術家の最高点としてとらえ、『美術家列伝』において「神のごとく」という表現をしました。以後この言葉が、ミケランジェロを賞賛する言葉として定着します。
レオナルド・ダ・ヴィンチもそうでしたが、ルネサンスの芸術家には多岐にわたって才能を発揮する人が多くいました。ただ、成し得た業績を考えると、ミケランジェロはまさしく「神のごとき」という形容がふさわしいと思います。のちに与えた影響も計り知れないものがあります。
参考文献:『神のごときミケランジェロ』池上英洋/著(新潮社)、アート・ビギナーズ・コレクション『もっと知りたいミケランジェロ 生涯と作品』池上英洋/著(東京美術)『システィーナ礼拝堂を読む』越川倫明・松浦弘明・甲斐教行・深田麻里亜/著、『ルネサンス 天才の素顔 ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ、ラファエッロ 三巨匠の生涯』池上英洋/著(美術出版)、『レオナルド・ダ・ヴィンチ 生涯と芸術のすべて』(筑摩書房) 他