自由民権運動にのめり込む
佐川に帰った富太郎は精力的に植物研究に取り込んだが、意外な活動にも携わることになる。
その活動とは、自由民権運動だった。富太郎、20歳のときのことである。
ドラマでは宮野真守演じる早川逸馬に引きずられる形で、突発的に一時だけ関わったように描かれていたが、富太郎は自叙伝で、「熱心な自由党の一員だった」と述べている。
実際、富太郎が演説会で熱弁を振るっていたのは、地元では有名だったという(佐川町青山文庫『日本植物学の父・牧野富太郎』)。
「人間は自由であり、平等の権利を持つべきだ!」と仲間とともに、大いに気炎をあげていた富太郎だが、やがて、自分の使命は学問に専心することだと悟り、脱退を決意。
15、6人の友人たちと演説会に乗り込み、火に焼かれた魑魅魍魎が逃げていく絵の描かれた大きな旗を広げ、脱退を表明し、大声で歌いながらその場を後にするという、芝居がかった方法で脱退したという。
以後、富太郎は二度と政治活動に関わることはなかった。
二度目の上京
自叙伝によれば、自由党を脱退した富太郎は、佐川で科学の演説会を行ない、近隣の野山で植物を採集し、採集物の標本を作り、植物図を描いて暮らしていた。
だが、植物研究への情熱を抑えきれず、明治17年(1884)7月、富太郎は2人の友人と共に、東京へと旅立った。富太郎、二十二歳のときのことである。
富太郎はこの二度目の上京で、要潤演じる田邊彰久教授のモデルと思われる、東京大学理学部の植物学教室の教授・矢田部良吉と出会う。
矢田部教授との出会いは、富太郎の未来と、ひいては日本植物学の未来も、大きく変えることとなるのだ。