言わずと知れたレオ様とルド

レオナルド・ディカプリオとテルモン

──今年2月にテルモンの出資者になったレオナルド・ディカプリオさんですが、先程の話からするとお友達なんですか?

そう。もう15年の付き合いかな。一番古い友です。

──どうして友達になったんですか?

え? 友達にどうしてもこうしてもないよ。人生そんなものでしょ? うーん。そもそもはロサンゼルスのバーでワイワイ騒いでる連中がいて、パーティに誘われたんだ。それで、行った先がレオの家だった。レオもワイン好きで、同い年だし、生まれた月まで一緒。双子みたいだねって盛り上がって、それから付き合いが続いて、パリでも会って、LAでも会って、NY時代は10年くらいでレオもNYが拠点だったし、そうやって関係が続いたんだ。そんなわけだから……なぜ友達なのかなんて説明できないよ。

──それで友の計画にも出資してくれた?

まぁそうかな。この話の大事なところは、レオはアンバサ-じゃなくて出資者ってところね。レオは最初、そこまで興味を示していなかったんだ。でも、僕がやりはじめて、何をしようとしているかを話したら、いいねってなって、テルモンに来て、2日くらい過ごしたかな? で、よし、俺もやるってなったんだ。

──彼はほかのワイナリーにも出資していたりはしない?

してないよ! 彼は「オールバーズ」(カーボンフットプリントを公開しているシューズメーカー)にも出資しているでしょ? 環境問題に対して真剣な人なんだ。そもそも、僕のテルモン計画も、元をたどればレオなんだよ。彼が『Can we cool the planet?(この星を我々は冷やせるか?)』っていうドキュメントを読んでみろって僕に渡してね。僕はその頃、ルイ13世に関わっていたけれど、レミーコアントローグループを離れることを考えていたんだ。「ルド、そろそろ自分の人生を乗っけられることをやるんだ。人生を賭けたプロジェクトを始めろ」って内なる声が聞こえてた。それで、どうせやるなら、って考えていたものと、そのドキュメントは、すっと繋がった。決心がついたんだよ。

──サステナブルななにか、ということですか?

ビジネス、ラグジュアリー、そしてサステナビリティ。この3つが完璧に揃うことをやろうとおもった。それで具体的には4つの条件に当てはまるシャンパーニュメゾンに出会ったら、そこを買う、って決めたんだ。1. 歴史的価値がある。2. 創業者家族がいまも経営している。3. 素晴らしいワインを造っている。4. オーガニックに転換していくという僕の理想に賛同してくれる。 で、自転車でシャンパーニュを流していたら、ダムリー村でベルトラン・ロピタルに出会った。話をして、4条件は全部満たしていると分かった。だから「よし。俺はここで死ぬ」って決めたんだ。それがテルモン。

醸造と栽培の責任者 ベルトラン・ロピタル。1912年にシャンパーニュの造り手として独立したアンリ・ロピタルから数えて4代目。1999年に父のセルジュ・ロピタルから継いだ。自然に従うスタイルを貫く。

レミーコアントローとテルモン

──え? じゃあ、レミーコアントローグループはどこで出てくるんですか?

いい質問だね。僕はそういうわけだから、レミーコアントローのレミーマルタン側のオーナー一族というのかな。上司でレミーコアントローの経営者のエリアール・デュブルイに辞めますって言いにいったんだ。そうしたら、「ルド、お前、辞めてなにするんだ?」って聞かれたから、シャンパーニュメゾンを買うって答えたら「ちょっと待て」となった。詳しい話をしたら「それならうちもやる」って言い出して、条件は、レミーコアントローグループとしては、株の半分以上は持ちたい、というくらい。僕は起業家になるつもりだったんだけれど、予想外のいい話だったから、社内起業家もいいな、と思い直して提案を受けた。

──じゃあ、テルモンはルドとレミーコアントローで株を持っているということ?

あと、そもそものオーナーであり、栽培・醸造家のロピタル家の3者。そのあとでレオが来た。

──経営陣以外のテルモンスタッフはどれくらい?

シャンパーニュに17人。それから日本、NY、LA、ロンドン、スイス、パリにそれぞれ担当者が1人ずついる。

──シャンパーニュ地方でいえばほどほどの規模だけれど、レミーコアントローグループと考えると、小さい印象を受けるけれど……

実際、小さいって言っていいんじゃないかな。40万ボトル程度の生産量だから。でもお騒がせな連中だとおもうよ。

──なぜ?

ボックスをやめたり、完全オーガニックにチャレンジしたり、リサイクルガラスの話をしたり……ラベルに情報をいっぱい書くのはウイスキーからの発想なんだけれど、こういう透明性だって、隠したい人たちもいるんじゃない? しかもダムリーなんてところでこれを仕掛けてる。

──ダムリーってだいぶマイナー産地ですよね?

1911年のシャンパーニュ暴動、知ってますか? あれはダムリーで最初に起きたんです。ベルトラン・ロピタルのおじいさん、アンリはミュージシャンで『シャンパーニュに栄光あれ』という歌を作っているんですよ。

*シャンパーニュ暴動
ブドウの不作が続いて、シャンパーニュメゾンが当時、シャンパーニュ地方とは認められていなかったオーブ県のブドウを買う、という話になったときに、伝統を守るべきだ、と旧来のシャンパーニュ地方の一部の栽培家が暴動を起こし、軍が出動するほどの大事件になった。

──つまり革命的精神があるということ?

まぁ、僕も自分のプロジェクトを「グリーンレボリューション」と言っているから革命なんだけれど、ここで大事なのは、何かを覆そうとするのではなく、守ろうとしているということ。それほど、シャンパーニュに、そしてダムリーに愛も誇りもあるってことなんだ。

グラン・クリュとかプルミエ・クリュじゃないけど、そんなの関係ない。ダムリーの土を両手にすくって、顔を近づけると、そのまま食べたくなるほどいい香りがする。ここで良いものができないワケがないよ。