「音楽ファイルを書き換えなければなりません。再生機のシステム上、ロシア語や日本語の漢字のように2バイトの文字で曲名が書かれていればそのままでは使用できないのです」
書き換えてしまえばファイル名からはもとの曲が分からなくなって、曲を取り違えるリスクもある。そのため、すべてを数字で取り扱うようにしている。
上の写真は2014年世界選手権アイスダンスの練習のスケジュール表だ。手書きで数字が振られている。
「どう管理しているのかの一端ですが、すべての曲に番号を振ります。スタッフ間で曲名やスケーターの名前で伝えることもありません。聞き間違えなどが生じるのを避けるためです」
曲が流れていてもリアルタイムで音量を調整
再生機にすべての音源を取り込み準備が整う。あとは実際に曲を流してチェックすることになる。
「音響の確認は設営日と公式練習で行い、調整していきます」
リンクサイドには2名のスタッフが着く。1人はミキサー、1人は再生機オペレーターだ。
ミキサーは音量調整を担う。
「大会は競技ですから、不公平があってはいけません。ただ音響に関しては、物理的には一律に同じ音量ではありません。それよりも感覚的な不公平がないようにしなければなりません」
それは曲によって場内での響き方が異なるからだという。そのため、一律に同じにしていると、ある曲は場内に小さく、ある曲はより大きく響くことになりかねない。
「曲が流れている中でもリアルタイムに音量を調整します。例えばボーカル曲だとイントロが小さくてボーカルでいきなり大きくなるものもあります。また、ジャンプで歓声が上がったとき、音量を変えないままだと選手に曲が届かなくなるので音量を上げます。『これくらい歓声と拍手が沸くだろう』と予測して待っていなければなりません。その調整は経験値ですね」
ちなみに選手から提出される音源のデータ形式は、MP3、WAVなどさまざまな種類があるが、特に定めはないという。
「上位選手はハイスペックなものを提出することが多いですね。クオリティの問題があるので、こちらからアドバイスをすることもあるのですが、世界的なとりまとめが必要なのでデータの形式をルールで定めるといったことはなかなか進んでいません」
再生機オペレーターは正しい曲を正しくセットしスタートボタンを押す。
「大会の場合は決まりがあって、競技進行の係のキューに従って曲を出します。キューを出すのは選手が姿勢をとって3秒の静止の後と決まっています。3秒というのは、テレビの画面で選手の表情がアップになるくらいの時間です。そう決まっているからといって、機械的に曲をスタートさせるわけにはいきません。選手の息遣いを見て、準備が整っているかどうかを確認しています」
話の端々に感じられるのは、どこまでも神経を遣い、慎重に取り組む姿勢だ。
そこにはかつて味わった苦い思いと、音楽に携わる中で培った土台があった。(つづく)
重田克美(しげたかつみ)
音響プロデューサー。1987年、(財)ヤマハ音楽振興会開発部スタジオアシスタントとしてキャリアのスタートを切る。以降、録音スタジオをホームグラウンドに音楽録音エンジニアとして活動。2009年、仕事の軸をPA中心の音響業務へ移す(2017年、(株)ヤマハミュージックエンタテインメントホールディングスに事業吸収)。フィギュアスケートのほかバレーボールのVリーグ、7人制ラグビー、トライアスロンなどの会場音響設計に携わる。