その後、彼女の案は、工期や費用を考慮し、「可動式観客席(15000席)を仮設に変更」「開閉式屋根の設置は五輪後に」など計画の簡素化、規模の縮小化されたデザインに修正されるが、「ダイナミズムの低下(槇文彦)」、「亀のような鈍重な姿(磯崎新)」 と、更なる批判をあびるはめになってしまう。

 結局、健闘虚しく、総工費が当初の1300億円から2651億円に膨れ上がってしまったことを理由に、2015年7月、彼女の計画は白紙撤回されることになった。彼女側は実現可能性を訴えたが、結局政府はコンペの再実施に踏み切ることになり、彼女は舞台から下ろされることになってしまう。そして今、我々が目にしている国立競技場は、再度実施されたコンペによって選出された隈研吾によるものであることは、誰もがよく知るところである。

隈研吾設計の国立競技場(2020年)写真=Tim Porter/Camera Press/アフロ

 確かに、彼女の建築作品は、その土地の歴史や風土、周辺環境や気候よりも、彼女自身の建築美学が優先されていることは否めない。しかし、彼女の案を選んだのは審査員であるし、建設費の高騰を「彼女のデザインのせい」と、彼女自身に批判の矛先が行くのは見当違いではなかろうか。

 むしろ、選出プロセスや建設プロジェクトの進捗プロセスが不透明なことの方が問題であるし、環境や建設費を問うのであれば、そもそも国立競技場を新しく建て直す必要があったのかどうか、そこをもっと議論すべきであったのではないかと私は思う。

 

[Queen of the Unbuilt]から[Queen of the Curve]へ

 彼女の死に際し、英ガーディアン紙は彼女を[Queen of the Curve(曲線の女王)]と紹介し、哀悼の意を表している。

 そんな[Queen of the Curve]の作品は、今もなお、サウジアラビアの《アブドラ国王石油調査・研究センター》や中国の《北京国際空港ターミナルビル》や《梅溪湖国際文化芸術センター》、マカオの高層ホテル《モーフィアス》など、世界各国で続々と完成し続けている。

《北京国際空港ターミナルビル》 王之桐, CC BY-SA 4.0, via Wikimedia Commons

 未来を先取りした[Queen of the Unbuilt]は、時代が追いつき[Queen of the Curve]の称号を得たが、またしても誰よりも先に、カーテンコールすら待たずに[Queen of the Architecture]として未来に旅立っていった。

 果たして、彼女は[ぼったくり男爵]という狂言回しが出演した前代未聞のドタバタ劇を、空の上からどのような思いで観ていただろうか。

 私としては、「早めに舞台から降りておいてよかったわ」、と胸を撫で下ろしていないことを願うばかりである。RIP.

写真=Peter Marlow/Magnum Photos/アフロ