「アンビルトの女王」と呼ばれて
思えば今回のオリンピックは、その開催が決定する前から、なにかとトラブルが続いていた。新国立競技場の改修を巡り、一旦決定したデザイン案が白紙撤回されてしまったことという「事件」もその1つである。設計は世界屈指の建築家ザハ・ハディド。女性初のプリツカー賞受賞者でもある彼女は奇しくも[Queen of the Unbuilt(アンビルトの女王)]という異名を持っていた。
彼女の建築の特徴は、なんと言っても、その大胆かつ奇抜な外観デザインである。彼女はまだ若かりし頃から、その斬新なデザインが世界的評価を集めていた。
しかし、実際に建てようと思うと施工も難しく、当然費用もかなり掛かってしまい、なかなか実作完成まで至らない。そんな時期が続いてしまったため、[Queen of the Unbuilt]と言われ始めたらしいのだが、一体いつ頃から、誰がこう言い始めたのかはわからない。
だが、この名称は決して嘲笑や侮蔑の意味ではない。彼女の生み出す建築は、たとえ建つことがなかったとしても、未来を先取りしたように魅惑的で、描き出す図面や透視図は、現代美術館に展示されていても全く遜色がないほど芸術的であった。Unbuiltであっても彼女は十分Queenであった(何を隠そう、私は彼女の作品に魅了され続けてきた一人で、学生時代、彼女の透視図をパネル化して部屋に飾っていた)。
そんな彼女に時代が追いついた。21世紀に入ってコンピューターの急激な発展や施工技術の革新によって、これまでUnbuiltであったものがBuiltできるようになってきた。また、潤沢な資金を用意できる産油国や中国では、費用面での心配も少ないことが追い風となって、彼女の作品が続々と誕生することになる。もはや[Queen of the Unbuilt]などと思う人はもういない。
しかし、非常に残念なことに、彼女は2016年、65歳という若さでこの世を去っている。世界各国で多数のプロジェクトが進行していた中での死はさぞや無念であっただろうと思われるが、おそらく、その死の直前まで、彼女を悩ませていたであろう計画が、《新国立競技場》であったのは間違いない。
アンビルト化された競技場
2012年、新国立競技場の建替計画に伴い、国際コンペ開催された。応募総数46件(海外34作品、国内12作品)の中から彼女の提案が最優秀に選出された。彼女の計画は、2本のキールアーチ(弓状構造物)と開閉式の透明膜からなる屋根が特徴で、流線型のフォルムが美しい、未来を先取りしたような大胆かつ斬新なデザインであった。
しかし、その発表直後から、その巨大な大きさが敷地である神宮外苑の景観や自然環境を損ねることや、建設費が膨大になることが予想されることに対する懸念や批判が、建築家や批評家だけでなく、アスリートや市民団体からも噴出した。